表ニ潜ム者タチ
男の詰問するかのような声を聞いたテセラクトの動きが完全に止まる。まるで動画の<一時停止>を押したかのようだ。
1分ほど経っただろうか。
突如、テセラクトの整った可愛らしい口元から、全く想像ができない程の声が漏れ出始める。
「あ、アア、ぎいいぃぃ!? いぎぎぎぃいあぎぐうぅずっ、は、あアぐぅっ!? い、だだだだああああぁぁぁぁ!?!?!!!!いいぃぃぃ──」
それは苦悶の音である。
己を捕食から抗おうとする音である。
彼女に残された最後の、精一杯の抵抗の意志の音である。
その様子を、まるで影のような色合いの男はじっと観察する。その目は一切動かずに悶え苦しむ彼女を、冷静に観察している。
男は「炎及びその他各種属性」の使い手である。が、その事実を忘れさせるほどの冷たい目の持ち主であった。
「あたまわれるかきまぜられるすくわれるほじくりかえされるふっとうするしめつけられるうらがえるまふたつになるまざるまざるまざるわたしうすくなるきしゃくされるしずむおりになるにえぎたるあわだつくるしいくるしいとびだす目がだれがおまえのような虫に──」
とても聞くに堪えない声が、止まる。唐突に。
テセラクトの首が不自然な方向に曲がり、戻る。そして改めて、男の方へ向き直る。そこにいたのは、もうテセラクトではなく。獼猴であった。
⦅おや、皮膚が爛れてないな。ということは……もうこっちに出てきても大丈夫なのかい?⦆
「お前の感覚器は単なる穴なのか? そんなわけなかろう」
男はそう言いながら腰に下げていた物を持ち上げる。それは銀に輝くボンベであった。その中身は当然──
ボンベからは細いチューブが生えておりそれを辿ると男の鼻元を終点としている。その姿は年老いた者が呼吸器に障害を持つゆえにそうした器具を装着しているようでもある。
男は、男の種族は、それを使わないと1分も持たずして窒息死ならぬ崩壊死してしまう。その致命的は種族的欠陥は未だに克服されていない。
先程まで付き添いのためこの部屋にいた、唯一の
⦅あ、持っていたんですね。そちら側が昏すぎてわかりまでんでしたよ」
「ふん、まあいい。にしても全くもって我が祖国も情けない。実験成功例があの女一例だけとは……」
⦅まあまあ。情報子治療は人から神へと
「そこで足踏みしていたら私が昇れないというのに。使えない者どもめ。さて、例の装置を回収するとしよう。で、うまく動作したか?」
男はそう言いながら蜃気楼のように揺らめく昏き空間より灯りが支配する空間へと歩みを進めた。
その姿が露わになる。
男の皮膚は黒い。生まれつきのものだ。髪は赤々と。ヤマアラシのように反り返っている。顔の、上半分は紅、下半分は黒。右手は青、左は緑。それぞれが複雑な紋様を描く。体つきから察するにある程度は引き締まり、程よく鍛えられているようだ。
男は店の入り口にたどり着くと左右に置かれているあるものを回収する。それはいわゆる鳩時計。ただし片方には
それは彼らの、後継者たらんとする組織のシンボル。
フギンとムニンの代わりか。
⦅ある種の脳波を模した音波を対象の脳に直接お届けする事で、認識能力を阻害する。さらに微力な魔法を付与し、短時間の間幻覚を見せる……でしたっけ?⦆
「そうだ」
⦅でも魔法付きということは、どうしてあの女は気付かなかったのですか? あなた方魔人は魔法を探知する術を幼少より教えられてきたのでは?⦆
「まず、その蔑称で、呼ぶな‼ それは拡張することしか能のないホモサピエンス共が勝手に名付けた汚らわしい呼び名なのだぞ!」
⦅ああ、これは失礼しました。ホモ属の習性にはまだまだ疎いものでして。魔術師、これでいいですかね⦆
「そうだその通りだ。そちらの懸念については全く問題ない。あの低能な白い肌の一族共は
⦅の割には。彼女の魔法、凄まじい威力でしたよ? 恐らく
「五指ではない‼ 最強だ、一位だ、それが大問題なのだ‼」
男は激しく興奮した様子で一気にまくしたてる。
「あの女の前職を知っているか!? 娼婦だぞ娼婦! それがまさか情報子治療実験の成功サンプルで、更に副作用として最大の火力を持ち、結果どうなったと思う? 現職は
⦅そんな個体を実験動物扱いして、こんな僻地に送り届けている。情報子治療実験が上手く機能しているかのテストのため、魔術師が
「何を言っている。そんなことをしたら兵どもの
3つの種族、そのお喋りはまだまだ止まらない。この会話をもしヒロシが聞いて、その背後に蠢く存在を、計画を多少なりとも理解することができたら。
ほんの少し先の座標にて彼の身に降りかかる悲劇を防げたかもしれない。もちろん後継者達に敵意・悪意は一切なかったので。この時の彼は気づくはずもなかった。
⦅あ、あと70時間と39分ですね⦆
「もうそんな時間か。ではお暇するとしよう」
⦅
男は頷いた。
男が消えた後に残るは3つの個体。
店内はしばし静寂に支配された。
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