また、ね

 神はこのすべての言葉を語って言われた。

 ――旧約聖書 出エジプト記 第20章1節より


 「き、貴様らか、うちの社員を殺したのは」

 (中略)

 「なんのために」

 男はちょっと首を傾げ、

 「なんのために、ときいたやつはおまえがはーじめてかもな。きいたらいつでも教えてやったのに、だれもきくものがいーなかった。お答えしよう。俺たちの目的は……」

 ――田中啓文 「夢の帝国にて」より(※1)






 Haxszthulrハスター髑髏よくわからん奴を吐き出して、そいつが突然叫んでから――たった10分。そう、たった10分で東南失地領域 東南ヨーロッパ極彩色ごくさいしきの地獄と化してしまった。

 見える、というより感じる。遥かなる天空宇宙見ているやつがいる。ふらりふらりと揺らぎ、一定の軌道に滞在しながら。

 見える、普通に。近しい天空対流圏見ながら我が物顔で遊弋ゆうよくしながらその場にあるものを次々と体外消化の末捕食。制空権を握る。

 見える、目の前に。見ながら大地の上に在るもの悉く飲み干し、泡立つ沼地へと変貌させ、そこから逃げる者は例外なく感染。異形となってしまった。



 いや、例外があった。おれだ。

 どういう訳かおれだけはまだ械人かいじんのままだ。まだ、おれのままだ。でもいつまで持つことやら。

 迫りくるShotggoouthhショゴスに向けてあらん限りの砲火をぶつける。残念ながらどれも効果がなく、命中と同時に飲み込まれてしまう。その先は言うまでもないだろう。それどころか――鳴り響く警告音。HUDの中央に大きく表示されたのは。



〉現在地の大気成分比率一覧。

 ・窒素    75.08パーセント

 ・酸素    23.25パーセント

 ・アルゴン  0.93パーセント

 ・二酸化炭素 0.02パーセント


〉警告。

 現在地の大気成分にズレを検知。酸素濃度が急激に上昇中、あらゆる威力の火気使用の禁止を推奨します。または早急にこの場を――



 読んでいる間にも酸素濃度は24.13に上昇しつつある。というか機械の体だと迂闊に動こうものならそれだけで火花が散って、ドカン! だ。

 恐怖とかそんなもの関係なしにおれは、動けない。


<ご主人様……>


 不安そうな声色のブレイン。そりゃあそうだ、何か急いで手を打たないと。おれのこと……いや、ることもなく、終わってしまう。何もかも――


 非情にもその時が来た。ぐるぐるとおれを取り囲む様にShotggoouthhショゴスが移動してくる。せみのようにざわめくテケリ・リ!Tekeli-li!テケリ・リ!

 ぼこぼこと泡立つ玉虫色の神体からだ。そのあちこちに不定形の目玉がこれでもかと群生していて、そいつらは瞬くこともなく、まるで吸盤のように内側へ、外側へと収縮している――嗤っているように。

 その余りの気味悪さといったら! 械人かいじんに一番似合わない言葉である生理的嫌悪、が存在しないはずの吐瀉と共に腹の底から湧き上がって来る!

 こんなんが押し寄せたら誰でも、どんな存在でも逃げるに決まっているわ。この期に及んで冷静に分析してしまうなんと愚かしいこと! それとも何もできないおれの最後の抵抗というやつか。

 Shotggoouthh がその神体からだを音よりもはやく伸ばす。疑似的な腕(細まった胴体?)がおれに触れようとして、その先端に数センチほどの目玉が





 ぐぐ





 ぐぅにゃり。





 目玉しかめた。

 そしてShotggoouthh は動きを止める。玉虫色の神体からだがささくれ立つ。そのまま動きを逆再生……するすると腕を引っ込めた。

 今やShotggoouthh は神体からだ全体でおれを見つめながら表情を出していた。

 語るその内容は。



 オマエ、クソキモチワルイ。イヤダイヤダイヤーァダ。




 ……は? もちろんShotggoouthh は声を出したわけではない(相変わらずテケリ・リ!Tekeli-li!テケリ・リ!と五月蠅いが)。ともかく何故かわかるのだ。今あいつが何を思っているのか、を。

 それはだった。おれが思っているものと同じ。相思相嫌ってか。ったくおれのそんなもん――待てこいつは一体こんな表情を――


<ヒィ……>


 まるでブルースクリーンのような顔色でガチガチと歯を鳴らし声にならない悲鳴をあげて酷い怯え方を見せるブレイン。

 まただ。さっきといい、おれじゃなくて、また、ブレイン。そりゃあちょっと出自不明なところ等はあるけどよ、なんてことはないAIなんだぞこのは。

 どこにもお前らが注目するものなんてないはずなのに、何だよ。何で見ているんだよ!


「いい加減にしろよ……そもそも何が目的なんだよお前らは!?」


 こっちを、つまりはおれの横に浮かぶブレインを見ている連中に向けて、ついおれは怒鳴ってしまう。何とかしてこのクソみたいな感覚を飛ばそうとして。それ以上の意図はどこにもない。だから、本当に驚いた。



「おこたえしましよう」



 向こうから、返答があったことに。






「わたしたちはただただもといた場所ばしよもどりたいだけなのです。ですからこうして情報収集活動じようほうしゆうしゆうかつどうをしていますごりかいしてくれるさいわい。さてほんじつは情報収集活動じようほうしゆうしゆうかつどうのついでにプラハででにいれたぶきのてすととそのついでにおうがむかしなじみにどうしてもあいたいというわがままがあつたのと」



「なによりもこのあたりでのですよしりませんかおうのしんぞうを簒奪者こうけいしやからとりもどさねばおうは不完全なのでもといた場所ばしよもどれないのですすうねんまえまではおうがヒロシとゆめのなかでおはなしすることができたのですがいまかれは外側にただよつているじようたいなのでであるおうはおはなしできないヨグの僕至に座するものとはまだあえなくてとてもとつてもざんねんそういうわけでもどるために心臓せいかくにはその【【A】】をさがしていますもししつていればおしえておしえておしえてどこにあるⅡ在概fixed念性分裂 splittingした【【P】】は」



 神仙――Cutetorouxryuクトゥルー は無数の吸盤から機関銃の如き勢いで回答をまくし立てる。が、何を言っているのかさっぱりだ。

 元いた場所にもどる? 王の心臓? 簒奪者? ヨグの僕? 分裂? 

 それらにおれが越えたいとする目標個体である――ヒロシ、が関わっている。という事ぐらいしかわからない……何故だ、何故あいつの名前がこんなところで出てくるんだ。単に奇怪な超人超能力者というだけじゃないのか?

 ただただ混乱するしかないぞまったく。



「どうやらしらないごようすおうよどうやらここまでのようです」

「の、ようだ」


 おれの様子を見てとったCutetorouxryuクトゥルーHaxszthulrハスターに囁く。今気づいたのだが、Haxszthulrハスターの声が若い女のものからバリトンの男へと変わっていた。



「ではR'lyehルルイエ に戻る――Shotggoouthh と腐爛天ノ使龙sinードラゴンはそのまま情報収集活動を。来いおいでPednampyra ェダァムピアヒラIthaquaイタカ



 音もなく右にIthaquaイタカが、左にPednampyra ェダァムピアヒラがそれぞれ小さくなった状態で現れる。Ithaqua の腹は餓鬼のように膨れていた。それは200機近い爆撃機を喰らった名残か。

 Haxszthulrハスターは懐から何かを取り出す。それは古めかしい緑錆に覆われた手振鈴ハンドベル



大図書館の呼鈴ケラエノーノベル。あのらはまだわからないから――好啦好啦おいでおいでمطيعة الحشراتしもべたち、Custodi nos in terra suaあの場所へ我らを連れて行け――――悪菌道、ミ魅彌=



 チリン、チリン。

 どこからともなくが聞こえ始めた。

 次いで振動が強まりながらどんどん近づいて来る。まるで駅のホームに近づいてくる列車のように。蟲

 ゴゴゴ、と地面が揺れる。揺れは加速度的に強くなり、そして丁度Haxszthulr らがいる真下が盛り上がった。

 瞬後、そこから狂気的な量の蟲が湧き出てくる!            蟲

 その蟲共はから見ると奇妙なことに「蟲」の字とそっくりな形をしている。漢字でいうところの下の「虫」2つから「はね」が生えている格好。その下は乳白色だが、よく見るとそれは

蟲                    蟲

 みちゃねちゃみちゃねちゃみちゃねちゃみちゃねちゃ            蟲

蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲

 耳が裸足で逃げ出す役目を放棄したくなるような音を発する泡立つ粘液に覆われた蛆状のもの……つまりは縦に細長い眼だったのだ!

蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲  そのたまごを抱えたようなバケモノどもは気色悪い棘だらけの脚を腹合わせで――正常位抱き合わせとなり無数の紐を形成。それらが寄り集まり太っといケーブルとなる。蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲みちゃねちゃみちゃねちゃみちゃねちゃ蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲みちゃねちゃみちゃねちゃみちゃねちゃみちゃねちゃ蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲みちゃねちゃみちゃねちゃみちゃねちゃみちゃ蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲みちゃねちゃみちゃねちゃみちゃねちゃみちゃねちゃ蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲みちゃねちゃみちゃねちゃみちゃねちゃみちゃねちゃみちゃねちゃみちゃねちゃみちゃねちゃみちゃねちゃ

 ケーブルに邪神たちが思い思いのやり方で手に取る。そのまま一気に上に昇っていく―― 「また、ね」 ――まるでエレベーターだ。

 女の声で餞別をよこしたHaxszthulr の姿はあっという間に高度3万メートルに到達。そこにはいつの間にか蜈蚣ごこう(※2)の姿がある。

 体長千メートルはあろうかというその巨体はどうしてか悪竜を想起させ、悪竜とは無数の蟲の集合体なのだ。

 百、千、万、億単位の脚を一斉に動かし、北へと出発するその姿はどうしてか銀河鉄道を想起させ、銀河鉄道とは冥王へと誘う渡し守カローンなのだ。



 呆然と見送るおれの耳にせみざわめきと小さな大音声がずかずかと入り込んでくる。



テケリ・リ!テケリ・リ!テケリ・リ!Tekeli-li!テケリ・リ!אל תהיה לך אלים אחרים מלבדי.テケリ・リ!テケリ・リ!テケリ・リ!Tekeli-li!テケリ・リ!אל תעשה לעצמך דמות מעוטרת. אל תעשה לעצמך צורה כלשהי של מה שבשמים למעלה, או של מה שבארץ למטה, או של מה שבמים מתחת לאדמה.テケリ・リ!テケリ・リ!テケリ・リ!Tekeli-li!テケ――



 まだ地獄は終わっていない。

 それどころかここから始まるのだ。

 奴らは一糸乱れぬ行軍で西へ西へと進んでいく。

 失地領域のその先――獲得領域へと。

 待ち受ける未来は大規模発生アウトブレイク

 その時、未来という概念は終わりを告げるだろう。

 過去すら、なくなるだろう。

 何もかも亡くなった大地を見て、おれは悟る。

 これより先に、おれの出番は、もうどこにもないのだと――









※1 引用した作品は創土社が発行している The Cthulhu Mythos Files の『クトゥルーを喚ぶ声』に収録されています。

 また、最後の「……」という部分ですが、もちろん本来であれば代わりに長々としたセリフが続きます。ですが流石に全部書くと本文が食われてしまうため、私の手によりああなりましたことをここに明記します。


※2 百足=ムカデのこと。他にも蜈蜙、蝍蛆などが漢字表記としてある。

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