抱擁

 遠くからではわからない事もある。

 物事は、やはり近くでないとわからない。

 でも、今回の場合はゼロ距離、つまり密着している。

 だからよくわかるのだ。



 今、僕は布一枚を隔てて密着し言われた通りに背中側から腕を回し前側で交差、輪を作り穏やかに固定している格好だ。

 天井は柔らかく、を温暖化した大気のように包み込み、適切な温度を約束してくれる。

 輪のも先程より温かみが広がってきて、じわじわと温もりが満ちてきた。

 目の前にはくすぐったい香りのさらりとした、手触りの良い翡翠色。

 紫の視線を感じる。

 ふと視線を正面に向けると優しげにこちらを見つめるティマの双眸が。


「あの、今更なんですけど、本当に怒られない?」

「……大丈夫ですよ。陛下も大変気持ちよさそうですし。ちなみに私が知る限りでは、この役目を男の子がやるのは初めてです」


 いたずらっぽい笑みを浮かべるティマ。その返答にひきつった笑みを浮かべてしまう。それ、まずいパターンなのでは? 

 もっともこうしてから既にそれなりの時間が経っているのだから今更なのかもしれない。



 僕は今翡紅フェイホンに添い寝をしている状態だ。

 正確には僕とティマで、挟み込む形で。真上から見ると「川」の字のように見えるはず。

 どうしてこうなったかというと。


「今の翡紅様は体温が下がっている状態で、このままいくと重度の低体温症になってしまいます。はっきり言うと今の翡紅様は寝ているのではなく意識が朦朧としているだけなのです。それで至急体温を上げなければならないのですが、今回は特に症状が酷い。では足りない可能性があります。そこでヒロシさんにはティマと一緒に翡紅様を欲しいのです。要は添い寝ですね」

「本当にそんなだいそれたこと、しちゃっていいんですか⁉ あとで「やっぱ処す」とか言わないですよね⁉」


 あまりにも想像より斜め上の「お願い」に啞然とし、確認の為に上記のセリフを放ったのだが。

 「それでは──失礼しますね?」と無形ウーシンは再び無数の“小手シャォダーショゥ”を召喚。

 非常に手慣れた手つき(?)でものの10秒ほどで僕を、素早く寝間着へと着替えさせられた。


 その後、“大手ダーショゥ”によってベッドルームに「いつもはこんな感じでやっています」と無数の“小手シャォダーショゥ”にされながら──翡紅に密着し、横から抱きしめる格好となったわけだ。

 途中、なんでアンタがやらないんだ? と一瞬疑問に思ったのだが、無形の袖口の奥がちらりと見えた時に悟ってしまう。

 執務室での自己紹介時に翡紅が言っていたではないか。「ことを始めとして幾つか身体的ハンデがあるけど」と。

 彼女は何かを抱きしめることができないのだ。


 部屋の中で堂々と黒のドレスを脱ぎ、手触りのよさそうな至極色しごくいろのネグリジェに着替えていたティマが同じベットに入り翡紅を挟むような形で密着する。

 無形はそれを見届けると、「それではお二人とも、陛下をよろしくお願いします。私はこれよりあの艦を調査しますので。これほどの代償を払わされたのです。きっと何か大きながあるのでしょうから、早急に調べないと」と言い残し急いでベッドルームから出ていった。

 こうして話は冒頭に戻るというわけだ。



 添い寝を始めた当初、翡紅の体は酷く冷たく、激しくシバリング身震いを起こしていたが時間が経つにつれて収まった。

 遠目からではわからなかった、もゆっくりとしたものへと変化し、今度こそ安定したのだと実感する。

 添い寝を開始して1時間が経つ頃には無意識のなせる技か、翡紅は自分から僕の方に身を寄せてより密着する形となる。更に頭をぐりぐりと首や顎の辺りに、甘えるように押し付けてきた。彼女のほのかな甘い香りが鼻腔を支配する。

 眠いのか目を半分ほど閉じたティマが小声でささやく。


「……この行為は単に温める、というだけではありません。民の為、己の全てを捧げてたった1人で孤独に戦う陛下を少しでも癒し、その身体に、心に安らぎを、という意味もあるのです……」


 その言葉に思わず視線を下へと動かし、改めて両足を曲げて丸まった状態でこの腕に抱かれている女性について思いを巡らせる。

 今まで「強い」という印象を抱いていたけど。実際はこんなにも。でもそれは本質的に「弱い」ということとイコールではないはずだ。

 よく考えてみると桜宮様も、兄さんも姉さんも、どうしてあそこまで自分をを捧げることが、戦うことができるのか。他人の為に。

 いや、そもそも僕は、自分は? ? 

 今までの僕は……暗闇の中の手をじっと見つめる。

 突然何か、言い知れぬ、底が見えぬ不安に襲われて体をぶるりと震わせる。

 この「力」、なんだ? なんなんだ、これ?

 パニックになりそうな自分、得体のしれぬ恐怖から逃れるように前を向くと。


「……すぅ。……すー、すー、すー……」


 穏やかな寝息を立てるティマの顔が見える。どうしてかわからないけど。浮上しかけた恐怖がゆっくりと沈んでいく。心が鮮明になり落ち着いていく。

 腕の中には柔らかい温度が。

 周囲に舞うは2種類の香ばしく包み込む安心が。

 時を緩やかにさせて。

 僕はいつのまにかあんねいののせかいへ、と び  こ   む。


【人寄りの思考にシュミレートさせ過ぎたか。だが、今の俺にはその思考が必要だからな。AI化、外部委託というのは中々上手くイカンものだな。】




翌日。

10月27日。


 腕の辺りに感じる生暖かい圧迫感! を感じてヒロシは──僕はゆっくりと目を開ける。

 豪華客船らしい見事な装飾が施された天井。、身覚えがある。その事にかすかな安堵感を得て、先ほどから腕に感じている圧迫感の箇所を見ると。


「翡紅? 何、をして、いるんですか?」


 移動する圧迫感。

 頭が回らないのは決して寝起きのせいだけではないだろう。イメージとかけ離れた行為。シュチュエーションさえ合っていれば何の問題もなかったかもしれない。

 、今のヒロシには理解できなかったが、取り敢えずその行為を見守る。


 再び移動する圧迫感。

 薄い跡が舗装された道のように続く。

 歯痕はあとだ。

 決して道の持ち主を傷つけさせないような絶妙な力加減、愛情を感じさせる。


 甘嚙み。

 僕の腕は翡紅によって甘嚙みされていた。



 ほとんど閉じかけた紅い双眸。まだ寝ているのか、寝ぼけているのか、どちらにせよ無意識のうちの行為だろう。寝間着を捲られ肘の辺りから手首まで甘嚙みの跡が残っている。左腕だ。

 いや何を冷静に観察しているんだ僕は。

 と、翡紅の顎の動きが停止。わずかに糸を引く唾液を残してゆっくりと顔を上げ、僕と目線を同じくする。


「お、おはよう、ございます?」

「うん。おはよ──ッ!?」


 お決まりの挨拶をし終える前に何かに気づいた様に紅い双眸を限界まで見開き、こちらを凝視──から何か悟ったように目の大きさがいつも通りに戻り──口の粘つきが気になるのかもごもごと動かしながら何の気なしに捲られた僕の左腕を見て。

 再び紅い双眸を限界まで見開く。顔は瞳の色以上に真っ赤に染まり、わなわなと震えながら口が開いていく。


「──ぁ、っい、い、」

「い?」


 絶叫!!


 翡紅の叫びを聞いて何事かと至極色しごくいろのネグリジェ姿のまま飛んできたティマは僕の左腕にある跡を見て即座に悟ったような顔をするのだった。



 その後、慌ただしく淡紅色たんこうしょくのセパレートタイプの厚手なパジャマを脱ぎ捨て(僕の前で)、紅碧べにみどり色のキャミソール姿となり(僕の前で)、予め洗濯されていたのであろう黒色でファー着きの皮ジャケットと藍色のジーパン、そして茶色のブーツに着替えた(僕の前で)。

 そして備え付きの鏡を見ながら髪の毛などを一通り整え終えると勢いよくこちらへと振り向き、一言。


「さっきの、ことはっ、忘れなさい。いい? 忘れるのよ!! これ、はっ、命令なんだから!」


 顔を真っ赤にしながら翡紅は部屋を飛び出し、ポン! という音と共に転移して外に出ていった。

 

「……あれは陛下の照れ隠しのようなものですから。そこまで気にしなくて、大丈夫ですよ?」


 一部始終を見ていたティマはにこにことした笑みをその顔に浮かべていた。



 着替え終わって、先の翡紅と同じように鏡を見る。旧時代の若者らしい厚手のデニムパンツとこげ茶色のセーターに包まれたその体、その顔は前に神国日本で確認した時と違ってどこか晴れ晴れとした雰囲気を漂わせている気がする。

 それは昨日よく眠れたせいか、新しい服に替えたせいか、周りの環境反応が変わったせいか、それとも……少し顔つきが変わったせいか。

 鏡の前でそう自問自答していると、ピンポーン! という音が響いた。


「……どちら様でしょうか?」


 黒ドレスに着替え終えた(僕の隣で)ティマが小型端末を利用して応対する。


「私は翠玉すいぎょく海軍総司令、ジナイーダ・ペトロヴィチ・ロジェストヴェンナ大将です。ここにヒロシ、という方が滞在していると聞きました。少し、お話がしたいのです」


 鈴がなるような、穏やかな声がスピーカーを通して聞こえた。


 

 

 こんにちは。レビューや感想に飢えている筆者のラジオ・Kです。

 例によって解説のお時間です。


至極色しごくいろ

 極めて黒に近い深い赤紫色のこと。 飛鳥時代の頃には「黒紫」とも表記され、より黒に近いとの説もある。

 冠位十二階が定められた頃、最上位の色である紫、その中でも「深紫」は別格扱いされていた。この色は天皇や官位を極めた極官ごっかんのみが着用を許された色なので「至極色」と呼ばれるようになったという。


紅碧べにみどり

 かすかに紅がかった淡い空色のこと。

 この単語の「碧」は空色を指しており、空色の上に紅色を薄く重ねた色合いを表現した単語である。


・現在ヒロシ達がいる場所について

 ヒロシが現在止まっている船室、もとい船であるプラネタリティP l a n e t a r yマテリアルM a t e r i a l s、≪奇跡星の貴族達≫シリーズ大型巡航客船「エメラルド 翠玉」、は一応実際の船をモデルとしています。

 それはアメリカのロイヤル・カリビアン・インターナショナルが運航する当時(2009年)世界最大のクルーズ客船となった「オアシス・オブ・ザ・シーズ」です。

 部屋の間取り等のモデルは同船内にあるグランドスイート(2ベッドルーム)となります。勿論全て一緒、というわけではありませんが。例えばバルコニーの有無など。

 もしお時間がありましたら調べてみて、こんな感じか~と思っていただけましたら幸いです。


翡紅フェイホンちゃんの性格について

 彼女は裸や下着姿を見られるより自身の癖を見られるのが恥ずかしいタイプのようですね。本人が筆者の脳内で叫んでいたので間違いないです。はい。


・新キャラについて

 現時点で1つ言えることは、日本にとって少しばかりなじみのある人がモデルとなっています。名前、よーく見ると……?

 ミリタリーに明るい人はすぐにわかるかも。



 解説は以上となります! ここまで読んでくださりありがとうございます!

 よければ応援する! やコメントを残して頂けると嬉しいです!

 それではまた、次のエピソードでお会いしましょう。 

 

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