第276話第百九十五段 ある人、久我縄手を通りけるに

(原文)

ある人、久我縄手を通りけるに、小袖に大口着たる人、木造りの地蔵を田の中の水におしひたして、ねんごろに洗いけり。

心得難く見るほどに、狩衣の男二人三人出で来て、「ここにおはしましけり」とて、この人を具して去にけり。

久我内大臣殿にてぞおはしける。

尋常におはしましける時は、神妙にやん事なき人にておはしけり。


※久我縄手:久我(京都市伏見区久我)を通る道の古称。桂川の右岸。北は鳥羽作道に、南は羽束師を経て山崎に到る。

※久我内大臣殿:源通基(1240-1308)。正応元年(1288年)内大臣。


(舞夢訳)

ある人が久我縄手を通った時に、小袖に大口を着た人が、木造の地蔵像を田の中の水に入れて、丁寧に洗っていた。

どういうことかと首を傾げていたところ、狩衣を着た男が二、三人やって来て、「ここにおられます」と言って、その人を連れ去っていった。

この奇妙な人は、久我内大臣殿であった。

正気である時は、立派で気品あふれる人であった。



下着姿で、木造の地蔵菩薩像を、田の水につけて、熱心に洗う。

下手に洗えば、逆に泥がつくと思うけれど。

おそらく、夏の暑い時期かもしれない。

奇行といえば、その通り。

少なくとも高級官僚が人前ですることではない。

家来も、暑い中、必死に探し回ったのかもしれない。

連れ去られていく姿を想像すると、笑っていいものかどうか、少し悩む。

正気の時は、立派で気品があるのだから、その奇行が不思議。

悪気はなく、他人に迷惑をかけているのではなく、咎めるほどのことでもない。

あるいは、田の水は、清める効果があったのだろうか。

どうにも現代に生きる人には、理解の範囲には無い行為である。

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