第96話第六十七段 賀茂の岩本・橋本は(1)
(原文)
賀茂の岩本・橋本は、業平・実方なり。
人の常に言ひまがへ侍れば、一年参りたりしに、老いたる宮司の過ぎしを呼びとどめて、尋ね侍りしに、「実方は、御手洗に影のうつりける所と侍れば、『橋本や、なほ水の近ければ』と覚え侍る」
「吉水和尚、『月をめで花をながめしいにしへのやさしき人はここにありはら』と詠み給ひけるは、岩本の社とこそ承りおき侍れど、おのれらよりは、なかなか御存知などもこそさぶらはめ」
と、いとうやうやしく言ひたりしこそ、いみじく覚えしか。
(舞夢訳)
賀茂神社の末社の岩本と橋本の祭神は、業平様と藤原実方になる。
世間の人が、この二社の祭神を、しばしば混乱しているので、いつかの年に参拝した際に、通りかかった老齢の宮司を呼びとどめて、このことについて尋ねてみた。
その宮司は、
「実方を祀ったのは、御手洗池に、その面影が映った場所であることに由来するということなので、橋本となります」
「『ここの方が、岩本よりも水辺にある』という理由で、そう思うのです」
「吉水和尚(慈円)が、
『月を愛で、花を眺めた古代の優雅な人は、ここの神の在原業平様でございます』と、お詠みになられた場所は、岩本であると伝え聞いております」
「しかし、それについては、私とものような宮司よりも、歌人であられる貴方様方のほうが、よくご存知なのではないでしょうか」
と、実にしっかりと語っていただけたことは、素晴らしいことと思った。
※賀茂神社:この段の賀茂神社は、上賀茂神社。
※岩本・橋本:上賀茂の末社16社に含まれる。岩本は楢小川の左岸の岩の上。橋本は本殿に近い御手洗川にかかる石橋の近く。
※実方:藤原実方。歌人。
※吉水和尚:天台座主慈円。歌人としても有名。
賀茂社は、古来、歌合せ、歌会が数多く開催された伝統ある社。
歌人にとっては、聖地の一つとなる。
兼好氏自身も、何度か参拝をしたのではないだろうか。
その上で、世間の人々が混同しがちな、岩本と橋本の末社の由来を、賀茂社の宮司を呼び止めて確認する。
実は、兼好氏は、その由来を実は、知っていたのかもしれないけれど、世間の人に対して確実なところを紹介する目的があったのではないだろうか。
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