第67話第四十六段 柳原の辺に
(原文)
柳原の辺に、強盗法印と号する僧ありけり。
たびたび強盗にあひたるゆゑに、この名をつけにけるとぞ
(舞夢訳)
柳原のあたりに、強盗法印とあだ名をつけられた僧侶がいた。
何度も強盗の被害に遭ったので、この名前をつけられたそうだ。
※柳原:現京都市上京区柳原町と推定されている。
何とも、物騒なあだ名をつけられた僧侶がいたものである。
当時の京の柳原という地区が、余程治安が悪かったのか。
それとも、ある程度の金品を持っていて、身を守る手立てもなく、強盗にとっては狙いやすかったのだろうか。
それでも、何度も強盗の被害に遭ったというだけで、殺害されたとは書いていない。
無理に、強盗に抵抗せず、スンナリと金品を渡したとも、推測できる。
お布施の金が、強盗の生活費になるのだから、褒められた話ではないけれど、強欲極まりない僧侶も、褒められたものではない。
戒名をつけるだけで、100万を超える金額を請求する寺も、多い。
その、戒名の字を増やすだけで、10万単位の増額戒名代を請求。
葬儀で読経するだけでも数十万から100万を超える。
供僧を多くして、お車代も請求、それも1万円を下らない。
超貴重な秘仏であっても、道端で崩れかけた石仏であっても、仏としての価値は同じ。
読経にしても、深く修行を重ねた僧侶にしても、普通一般の人が読んでも、教の文面は同じ。
そもそも、御仏の前に、偉い僧侶と、普通の一般の人などという区別も差別もない。
お布施の金銭の多寡も、御仏には、どうでもいいこと。
御仏が大切にするのは、ただ「やさしい仏心」のみ。
逆に差別をつけたがるのは、いわゆる「偉いお坊さんと、その一派」。
また、仏法など、よく知らない庶民は、「多額なお布施が、往生と先祖供養に必要不可欠」などと言い脅され、コロコロ騙され続け、今日に至っても、その悪弊は全く消えていない。
私は、そんな金とか名誉欲で心を曇らせたような、「偉いお坊さんと、その一派」の読経など、全く聞きたくない。
なけなしの大金を脅迫まがいに脅し取られて、聞くような経文など、とてもありがたい御仏の教えとは、思えないのである。
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