第120話第八十七段 下部に酒飲ます事は(1)

(原文)

下部に酒飲まする事は、心すべきことなり。

宇治に住み侍りけるをのこ、京に、具覚房とて、なまめきたる遁世の僧を、こじうとなりければ、常に申しむつびけり。

或時、迎へに馬を遣したりければ、「遥かなるほどなり。口づきのをのこに、先づ一度せさせよ」とて、酒を出したれば、さし受けさし受け、よよと飲みぬ。

太刀うちはきて、かひがひしげなれば、たのもしく覚えて、召し具して行くほどに、木幡のほどにて、奈良法師の兵士あまた具してあひたるに、この男たちむかひて、「日暮れにたる山中に、あやしきぞ。とまり候へ」と言ひて、太刀を引き抜きければ、人も皆太刀抜き、矢はげなどしけるを、具覚房、手をすりて、「うつし心なく酔ひたる者に候。まげて許し給はらん」と言ひければ、各嘲りて過ぎぬ。


(舞夢訳)

下僕に酒を飲ませることは、慎重にするべきことである。

宇治に住んでいる男がいた。

彼は都に住んでいる具覚坊という上品な遁世の僧侶と小姑であったことから、いつも親しく交際をしていた。

ある時、具覚坊を迎えるのに、男は馬をつかわした。

具覚坊が、

「長い道のりでもある。馬の口取りの男に、とりあえず酒でも一杯飲ませてあげなさい」と言うと、口取りの男は、何杯も、グイグイと飲んでしまった。

その口取りの男は、太刀を腰につけているし、とにかく力強そうなので、信頼しきって召し連れて道を進んだ。

木幡の付近で、奈良法師が僧兵を多数引き連れている様子を見かけた。

すると、この口取りの男が、

「こんな日暮れの山中に、怪しい連中だ。そこに止まれ」と声をかけた。

それに対して、僧兵も全員太刀を抜き、矢をつがえる。

具覚坊が、手をすり合わせ、

「申し訳ありません、この男は正気を失うほど酔っぱらっているのです。無礼をまげてお許しください」と頭を下げすると、一行はあざ笑いながら立ち去って行った。


※宇治と都の距離:十数キロ。

※木幡:京都市伏見区大亀谷あたりの山地。古来、不気味な場所とされていた。

※奈良法師:奈良興福寺、東大寺の僧徒。



下僕に限らず、酒は人を狂わせてしまう。

そもそも仕事で来て、何杯もグイグイ飲んでしまうところに、この口取りの男の程度の低さ、酒に対する警戒心の薄さがよくわかる。

また、そんな男なので、訓練を積んだ多数の奈良の僧兵に暴言を吐いてしまう。

客である具覚坊の取り成し、謝罪がなければ、命を落としてしまっただろう。



※下部に酒飲ます事は(2)に続く。




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