第166話第百二十一段 養ひ飼ふものには、馬・牛
(原文)
養ひ飼ふものには、馬・牛。
繋ぎ苦しむるこそいたましけれど、なくてかなはぬものなれば、いかがはせん。
犬は、守り防ぐつとめ、人にも勝りたれば、必ずあるべし。
されど、家ごとにあるものなれば、ことさらに求め飼はずともありなん。
その外の鳥・獣、すべて用なきものなり。
走る獣は檻にこめ、鎖をさされ、飛ぶ鳥は
その思ひ、我が身にあたりて忍びがたくは、心あらん人、これを楽しまんや。
生を苦しめて目を喜ばしむるは、
捕へ苦しめたるにあらず。
「およそ、めづらしき禽、あやしき獣、国に
(舞夢訳)
家畜として養い飼うものとしては、馬と牛になる。
これらをつなぎとめ苦しませることは可哀そうではあるけれど、人間の生活にとってなくてはならないものであるので、致し方ない。
犬については、その家を守り賊を防ぐ働きについては人間以上であるので、必ず飼いたいところである。
ただ、犬については、どこの家でも飼っているのだから、ことさらに求め飼わなくてもよい。
その他の鳥や獣については、全て飼う必要はない。
走りたい獣は檻に閉じ込められ鎖につながれ、飛びたい鳥は
その鳥と獣の辛さを我が身のことと感じ、耐えがたいと思うのなら、心ある人であるなら、鳥や獣を飼うことを楽しむことなどは出来ないと思う。
生き物が苦しむのを見て喜ぶのは、
彼は、鳥を捕らえ苦しめるようなことは、していない。
「そもそも、珍しい鳥や獣は、我が国では飼育しない」と、古書の中にも記されている。
※
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※「およそ、めづらしき禽、あやしき獣、国に
現代日本でも珍しい動物を好む人たちがいるけれど、兼好氏の時代でも海外との交易があり、それを好んだ人たちがいたのだろうと思う。
いずれにせよ、無理やり動物を、その慣れない環境で飼い、苦しめるなどは問題行為であり、慎むべきである。
その理屈が理解できない人は、動物を愛しているというよりは、珍しい動物を飼っている自分を愛しているという人で、他人に対して見せびらかしたい自己顕示欲の強い人なのだと思う。
ただ、そういう人は、なかなか我がまま、説得が通用しない。
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