第163話第百十八段 鯉の羹食ひたる日は
(原文)
鯉の羹食ひたる日は、鬢そそけずとなん。
膠にも作るものなれば、ねばりたるものにこそ。
鯉ばかりこそ、御前にても切らるる物なれば、やんごとなき魚なり。
鳥には雉、さうなき物なり。
雉・松茸などは、御湯殿の上にかかりたるも苦しからず。
その外は心うき事なり。
中宮の御方の御湯殿の上の黒御棚に雁の見えつるを、北山入道殿の御覧じて帰らせ給ひて、やがて御文にて、「かやうの物、さながらその姿にて御棚に候ひし事、見ならはず、様あしき事なり。はかばかしき人のさぶらはぬ故にこそ」など、申されたりけり。
(舞夢訳)
鯉のあつものを食べた日は、鬢が乱れないと言われている。
鯉は、にかわを作るものなので、粘り気があるものなのだと思う。
鯉だけは、帝の御前にて調理をされる物であるので、高貴な魚と言える。
鳥の場合は雉が、比べようがないほど、素晴らしい物である。
雉や松茸が、御湯殿の上の間に懸けられていたとしても、特に問題はないけれど、それ以外はいただけない。
かつて、中宮の御湯殿の上の黒御棚に雁が置かれていたのを、北山入道殿がご覧になられてから、すぐお便りにて、
「あのような物を、そのままの姿で御棚に置いたままでは、見るにも違和感があり、みっともないことと思われます。これは物のわかった人が、そばにおられないからなのでしょうか」
と、申し上げなされたという。
※北山入道殿:西園寺実兼。太政大臣。元亨二年(1322)没。誠実で配慮が行き届いた人物として知られる。
宮廷の食習慣や、故実の知識に基づく段。
現代人は、鯉も雉もあまり食べず、食べるとしたら、秋に松茸くらいだろうか。
それにしても、魚にも鳥にも格差があり、その保管場所や方法まで、細かなルールに基づいて正式に行われていないと、指摘を受けてしまう。
これでなかなか、宮廷は、難しい場所なのだと、つくづく感じされる段である。
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