第50話第三十三段 今の内裏作り出されて
(原文)
今の内裏作り出だされて、有職の人々に見せられけるに、いづくも難なしとて、すでに遷幸の日ちかくなりけるに、玄輝門院御覧じて、「閑院殿の櫛形の穴は、まろく、ふちもなくてぞありし」と仰せられける、いみじかりけり。
是は葉の入りて、木にてふちをしたりければ、あやまりにてなほされにけり。
(舞夢訳)
新しい内裏が完成となり、有識に通じた人に確認させて見たところ、全てにおいて問題はないという評価であったので、そのままにして、すでに遷幸の日が近くなった。
そのような時に、玄輝門院が御覧になられて、
「閑院殿の櫛形の窓は、これとは違い、丸くて縁もなかった」
と、おっしゃられたとのことで、とても素晴らしかった。
そういうことがあって、新しい内裏の窓には、切込みがついていて、木で縁取りをしてあったけれど、それを誤りとして、作りなおされたのである。
※新内裏:兼好氏が書いた時の新内裏は、二条富小路にあったもの。何度か炎上してしまい、再建されなかった旧二条富小路殿の敷地に造営された里内裏。
閑院殿を模して、鎌倉幕府の力で造営された本格的なもの。
※遷幸の日:文保元年(1317)4月19日。
※有識の人々:故事に深く通じた学識のある人々。
※玄輝門院:藤原
※閑院殿:里内裏のひとつ。西洞院西にあった。元藤原冬嗣邸。以後、高倉天皇の時に内裏となり、後鳥羽天皇から後深草天皇に至るまで、八代の皇居となった。
立派な造営であったけれど、火災と再建を繰り返した。
正元元年(1259)に炎上、廃絶となった。玄輝門院はこの時、14歳。
故実に詳しい有識の人々よりは、過去に実際暮らしたことがある玄輝門院のほうが、窓の形をはっきりと覚えていたという話である。
また、58年前の御所の窓であり、彼女以外には、その御所を見た生き残りが、ほとんどいなかったのだと思われる。
「たかが窓の形ではないか」と考える人には、理解できない無駄な話と思うけれど、彼女にとっては、娘時代の懐かしい思いが、窓の形に残っていたのである。
これで内裏に住む、特に高貴な女性は、ほぼ軟禁状態であって、自由勝手に外出は不可能。
ただ、窓だけが外界の人々を見ることのできるもの。
だから、その形にも、いつしか思い入れができてしまっていた。
なおせるものなら、なおしてほしいという、気持ちを述べたのだと思う。
兼好氏は、過去を忘れていない玄輝門院を立派としているけれど、それだけではない。
内裏の深奥に閉じ込められた若い娘の心も、その後の心も、結果として読み取れてしまうのである。
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