第27話第十九段 をりふしの移りかはるこそ(1)

(原文)

をりふしのうつりかはるこそ、ものごとにあはれなれ。

「もののあはれは秋こそまされ」と人ごとにいふめれど、それもさるものにて、今一きは心もうきたつものは、春の気色にこそあめれ。

鳥の声などもことの外に春めきて、のどやかなる日影に、墻根の草萌えいづるころより、やや春ふかく霞みわたりて、花もやうやう気色だつほどこそあれ、折しも雨風うちつづきて、心あわたたしく散り過ぎぬ。

青葉になり行くまで、よろづにただ心をのみぞ悩ます。



(舞夢訳)

季節の移り変わりは、その季節ごとに、情趣がある。

「もののあわれは、秋が優っている」と、誰もが言うようであるけれど、それには一応納得するとして、尚さらに心がうきうきとするのは、春の景色と思う。

鳥の声などが、一段と春らしくなり、穏やかな日差しの下で、垣の根本の草が芽吹く。

その頃から、少しずつ春が深まり霞が立ち込め、桜もようやく咲きはじめる。

そして、残念にも雨や風の日が続き、心が落ち着く時もなく、散ってしまう。

そのように。桜はいつもいつも、葉桜になるまで、人の心を実に悩ませる。



兼好氏の、この季節論は、まさに名文。

その中で、感じることの一部をあげてみたい。


いわゆる「春秋優劣論議」は、古代から行われていて、秋を選ぶ人が多かったようだ。

・拾遺集雑下・読人知らず

「春は ただ花のひとへに 咲くばかり もののあはれは 秋ぞまされる」

・源氏物語「薄雲」

 「春の花の林、秋の野のさかりをなむ、昔よりとりどりに人争ひ侍りける。そのことの、げにと心よるばかり、あらはなる定めこそ侍らざんなれ。唐土には、春の花の錦にしくものなしといひ侍るめり。やまとのことのはには、秋のあはれをとりたてて思へる」

・源氏物語「野分」

「春秋の争ひに、昔より秋に心よする人は、数まさりけるを」


しかし、兼好氏は、春の姿も、素晴らしい、見過ごすなどは出来ようがないとする。

鳥の鳴き声の変化、日差しが穏やかになっていくこと、垣の根本に、草が生え始めること。

いずれも、厳しい冬を過ぎ、ようやく鳥も喜び、日差しは和らぎ、可愛らしい草が芽を出しはじめる様子を、美しく、また喜びを持って描写する。

春のぼんやりとした霞とともに、待ちに待った桜が咲きはじめるけれど、雨風が強い日など、散ってしまうのが心配でならない日が,葉桜になるまで続く。




様々、書ききれないけれど、桜があっさりと散ってしまう様子については、やはり「古今集」から、引用したい。


紀貫之

「ことならば 咲かずやはあらぬ 桜花 見るわれさへに しづ心なし」

紀友則

「ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ」




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