第13話第九段 女は髪のめでたからんこそ
(原文)
女は髪のめでたからんこそ、人の目たつべかめれ。
人のほど、心ばへなどは、もの言ひたるけはひにこそ、ものごしにも知らるれ。
ことにふれて、うちあるさまにも人の心をまどはし、すべて女の、うちとけたるいも寝ず、身を惜しとも思ひたらず、堪ゆべくもあらぬわざにもよく堪へしのぶは、ただ色を思ふがゆゑなり。
まことに、愛著の道、その根深く、源遠し。
六塵の楽欲多しといへども、皆厭離しつべし。
その中に、ただ、かのまどひのひとつやめがたきのみぞ、老いたるも若きも、智あるも愚かなるも、かはる所なしとみゆる。
されば、女の髪すぢをよれる綱には、大象もよくつながれ、女のはける足駄にて作れる笛には、秋の鹿、必ずよるとぞ言ひ伝へ侍る。
自ら戒めて、恐るべく慎むべきは、このまなどひなり。
(舞夢訳)
女性は、髪の毛が豊かで美しいお方が、人の目を引くようである。
その女性の人格や、物の考え方などは、話し方や態度により知ることができる。
女性の場合、何事につけても、ふとした身動き一つで男性の心を惑わすし、どんな女性であっても熟睡などすることもなく、その命を惜しいとも思わず、男性なら耐えられないようことまで耐えてしまうのは、何よりも愛というものにひた向きになっているからなのである。
その意味において、男女の愛欲という世界は、実にその根源は深遠なものである。
人の世においては様々な刺激があり、それによりわき起こされる欲望は多いけれど、全て捨て去ることは、不可能ではない。
ただ、その中にあって、男女の関係に関する迷いだけは、避けることが困難であり、それは老人であろうと若い人であろうと、知恵ある人であろうと愚かな人であろうと、全く違いがないと思う。
そのような理由があって、女性の髪の毛をよって作った綱には、大きな象でさえつなぎとめることができるとか、女性がはいた足駄で作った笛を吹くと、恋にめざめた秋の雄鹿が必ず寄ってくると、伝えられているのである。
結局、自戒をし、恐れ慎むべきは、異性への迷いということになる。
※六塵:仏教用語で六種の感覚器官、眼・耳・鼻・舌・身・意により知覚される外界からの刺激。六塵には無垢清浄な人間を汚す意味がある。
「女性の髪の毛をよって作った綱には、大きな象でさえつなぎとめることができる」とか、「女性がはいた足駄で作った笛を吹くと、恋にめざめた秋の雄鹿が必ず寄ってくる」などの言い伝えは、現代日本には、残っていない。
しかし、なかなか、面白い表現と思う。
おそらく、惚れた女の思いは、相当に強いという表現なのだろうと思うけれど、
日本では、その当時、象はいないし、女性の髪を綱にして象を引き留めたこともないだろうし、女性の履物を笛に加工した人もいないだろう。
どこかの仏典や、中国伝来の書物に、そんな表現があったのだろうか。
男女間の迷いなどは、過去、現在、未来に渡って、無くなることは無いだろうから、特に自分に関係ない限り、不問とする。
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