第25話第十七段 山寺にかきこもりて
(原文)
山寺にかきこもりて、仏に仕うもつるこそ、つれづれもなく、心の濁りも清まるここちすれ。
(舞夢訳)
山寺にこもって、御仏にお仕えしている時は、所在なさを感じることもなく、心の中の濁っていた部分が、浄められていくような感覚をおぼえる。
兼好氏がこもった山寺は、比叡山の横川と推定されている。
確かに山寺の静寂な雰囲気の中、世間の雑事などは忘れ、仏事だけに専念すれば、心の憂さや煩悩などは、消え去ってしまうのかもしれない。
ただ、兼好氏の場合は、普段の生活から離れて、一種の気分転換で山寺に参籠している。
それを迎える寺の僧侶は、参籠してくる人が違うくらいの気分転換はあるけれど、いつもの仕事をこなしていることになる、つまり普段の生活である。
旅もまた同じ、異世界に行くから、気分転換もあり、風景や見知らぬ人との交流に感動すれば、その喜びも一際大きいし、心の憂さも浄められるだろう。
旅人を迎える現地の人の生活は、普段と同じなのだけど。
維摩居士いわく、
「普通の生活の中で、仏になることが大切、尊い」
「天国や浄土は自分の心の中にある、また地獄も同じ心の中にある」
「世間から逃げて、清らかになるなど、滑稽極まりない」
本当は、山寺にこもらなくても、心の憂さははらせるはずなのだけど、なかなか難しい。
山寺にこもるようなことは、形式的なものかもしれないけれど、一定の効果があるのだろうか。
現代の世では、あまり、そういうことをする人を見かけないけれど、やはり時代で変わっていくのだろうか。
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