第117話第八十四段 法顕三蔵の、天竺に渡りて

(原文)

法顕三蔵の、天竺にわたりて、故郷の扇を見ては悲しび、病に臥しては漢の食を願い給ひける事を聞きて、「さばかりの人の、無下にこそ心弱き気色を、人の国にて見え給ひけれ」と人の言ひしに、弘融僧都、「優に情ありける三蔵かな」と言ひたりしこそ、法師のやうにもあらず、心にくく覚えしか。


(舞夢訳)

三蔵法師が、天竺に滞在中に、故郷の扇を見ては愛しく思い、体調を崩した時には中国風の食事を願いなされた故事がある。

それを聞いた人が、

「あれほどの素晴らしい人が、そんなに弱気な様子を、他国で見せてしまうとは」

と言ったところ、弘融僧都は、

「実に人間味あふれる三蔵法師様ではないか」と言った。

法師の意見としては異論があるだろうけれど、奥深い意見と思われる。


三蔵法師は、「不東」、絶対に東の故郷である中国を振り向かないという決意で、想像を絶する艱難辛苦を乗り越え、天竺(インド)に渡った。

ただ、それほどの意志が強い三蔵法師も、天竺滞在中には故郷で作られた扇(うちわ)を見ては、懐かしくて涙を流されたようだ。

また、慣れない天竺の気候や食事で体調を崩せば、慣れ親しんだ故郷中国風の食事をしたいと思った。

その故事を聞いた人が、「あれほどの人が、そんな弱気の態度を外国人に見せるとは」と、半ば批判の言を述べたけれど、兼好氏の友人でもある弘融僧都が、

「実に人間らしい」と反論する。

兼好氏としては、弘融僧都の意見が深く、是としたようだ。


「法師らしく、全てに執着しない」つまり旅先の天竺で、故郷の扇や食事になど、心を動かすべきではない、そんな弱気を他国の人に見せるべきでない・・・

考えるに、それこそ、見栄や体裁にこだわる執着そのものでないだろうか。


艱難辛苦を乗り越え、ようやく到着した天竺で、故郷中国の扇、その中に書かれた中国の風景や物、人が書かれてれば、悲しいほど愛しく思って当然ではないか。

馴れない気候や食事で体調を崩せば、故郷の食事を摂りたいと思うのも当然。

三蔵法師としては、何とか体調を取り戻して、膨大な仏典を故郷に持ち帰り、さらに翻訳に取り組むという、生涯の目標があるのだから。


それを理解せず、「他国でそんな弱気を見せて恥ずかしい」など、とても人の心を持つ意見とは思えない。


この三蔵法師の故事の段における弘融僧都と兼好氏の考えは、全く同感。

訳者にとって、徒然草の中でも、大好きな段のひとつである。



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