第338話第二百四十三段 八つになりし年
(原文)
八になりし時、父に問ひていはく、「仏はいかなるものにか候ふらん」といふ。父がいはく、「仏には人のなりぬるなり」と。また問ふ、「人は何として仏には成り候ふやらん」と。父また、「仏の教へによりてなるなり」と答ふ。また問ふ、「教へ候ひける仏をば、なにが教え候ひける」と。また答ふ、「それも又、さきの仏の教へによりて成り給ふなり」と。また問ふ、「その教へ始め候ひける第一の仏は、如何なる仏にか候ひける」といふ時、父、「空よりやふりけん、土よりやわきけん」といひて、笑ふ。
「問ひつめられて、え答へずなり侍りつ」と、諸人に語りて興じき。
※父:兼好の父、卜部兼顕。治部少輔。生没年未詳。神祇官として後宇多天皇などに仕えた。
(舞夢訳)
八歳になった時、私は父に尋ねた。
「仏とは、どのようなものなのでしょうか」
父は答えた。
「仏とは人間がなったものだ」
私は、また尋ねた。
「人は、どのようにして、仏になったのですか」
父は、また答えた。
「仏の教えによって、仏となった」
私は、また尋ねた。
「その教えられた仏を、何が教えたのですか」
父は、また答えた。
「それもまた、先立つ仏が教えたのである」
私は、また尋ねた。
「その教えを始めた最初の仏とは、どんな仏だったのでしょうか」
父は笑って答えた。
「空から降って来たのか、あるいは地から湧いて来たのか」
そして、「子供に問い詰められて、結局しっかりとは答えられなかった」と、人々に面白そうに語るのであった。
八歳当時の兼好氏が、「仏とは何か」を父に問い詰めた時のことを記している。
探求好きなのか、単なる子供の好奇心なのか、何故、徒然草の最後の段にこれを書く必要があったのか、疑問は尽きないけれど、とにもかくにも徒然草はこの段にて終わる。
さて、これにて「徒然草 舞夢訳」は終了します。
今から700年前の日本の京都に暮らしていた兼好氏の様々な肉声を出来る限りわかりやすい現代語にしようと試みました。
兼好氏が書き記した様々な段には、納得するもの、とうてい納得しかねるものがありましたが、それはそれとして、貴重な体験となりました。
読者の皆様には、拙い舞夢訳への御愛読を感謝申し上げます。
徒然草 舞夢訳 舞夢 @maimu
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