第39話第二十五段 飛鳥川の淵瀬(1)
(原文)
飛鳥川の淵瀬、常ならぬ世にしあれば、時移り事去り、楽しび・悲しび行きかひて、はなやかなりしあたりも人住まぬ野らとなり、変らぬ住家は人あらたまりぬ。
桃李もの言はねば、誰とともにか昔を語らん。
まして、見ぬいにしへのやんごとなかりけん跡のみぞ、いとはかなき。
(舞夢訳)
古くから詠まれて来た飛鳥川の渕瀬のように、世の中とは無常なものである。
時勢は移り変わり、楽しみや悲しみは、人それぞれに訪れながらも、かつては華やかであった場所も、今は人も住まないような野原になり、家自体は残っている場合にも、住む人が別になっている。
桃や李は、何も語ることはないけれど、そうなると誰と往時を語ることができるのだろうか。
それにも増して、見たこともないような、昔の尊いお方が住まれていた屋敷の跡などは、実にこの世のはかなさを感じさせる。
※飛鳥川渕瀬:飛鳥川は渕瀬常ならない川として、古来から名高く、憧れを抱かれていた。
「飛鳥」は「明日」にも通じるので、世の無常を語る際によく引き合いに出され、飛鳥川は、またよく川が氾濫し、流域の地形が変わったと言われている。
〇参考
明日香川 瀬々に玉藻は 生ひたれど しがらみあれば 靡きあはなくに
(万葉集巻7-1380 作者未詳)
世の中は 何か常なる 飛鳥川 昨日の淵ぞ 今日は瀬になる
(古今集 詠み人知らず)
河は飛鳥川。渕瀬もさだめなく、いかならむとあはれなり。
(枕草子 第62段)
※桃李もの言はねば:桃や李は、昔のように花を咲かせるけれど、何も語らない。
「桃李もの言はず 春幾たびか暮れぬる 煙霞跡無し昔誰か栖みし」
(和漢朗詠集:菅原文時)
兼好氏は、この世の無常、特に豪壮な屋敷の荒廃を、常ならぬ流れで古来有名だった奈良の飛鳥川と、「桃李もの言わねば」の古言をひき、嘆いている。
確かに、永遠の命を持つ人はなく、屋敷もまた、ない。
わびしい、はかないと言っても、どうにもならない。
それが、この世を流れる無常の川であり、逃れられない定めなのだと思う。
※次回で、具体的な屋敷などの例示となります。
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