第169話第百二十三段 無益のことをなして

(原文)

無益のことをなして時を移すを、愚かなる人とも、僻事する人とも言ふべし。

国のため、君のために、止むことを得ずしてなすべき事多し。

その余りの暇、幾ばくならず。

思ふべし、人の身に、止むことを得ずしていとなむ所、第一に食ふ物、第二に着る物、第三に居る所なり。

人間の大事、この三つには過ぎず。

饑ゑず、寒からず、風雨にをかされずして、閑に過ぐすを楽とす。

ただし、人皆病あり。病にをかされぬれば、その愁忍びがたし。

医療を忘るべからず。

薬を加へて四つの事、求め得ざるを貧しとす。

この四つ欠けざるを富めりとす。

この四つの外を求め営むを驕りとす。

四つの事倹約ならば、誰か人の足らずとせん。


(舞夢訳)

無益のことをして時間を過ごすような人は、愚かな人とも、道理に外れた人とも、言うべきである。

そもそも国のため、仕える君主のため、やむなくするべき事は、数多いのである。

そして、それをなした後の余りの暇な時間などは、ほとんど無いはずである。

よく考えて見て欲しい。

人間として、何があっても求め営むべきは、第一に食物、第二に衣服、第三に住む所である。

人間が生きていく上で、必要なものは、この三つだけである。

餓えず、こごえず、風雨におかされずに、不安なく過ごすことが幸せなのである。

しかし、どんな人にも、病気というものがある。

病を得ると、その苦しさや痛みは、実に耐えがたい。

だから、医療は忘れてはならない。

先に挙げた三つに、薬を加えた四つのものに不自由することを、貧しいというべきである。

つまり、この四つに不自由しない状態が、豊かであるということになる。

また、この四つ以外を強いて求め営むことは、思い上がりである。

そもそも、四つのことについて、無駄に浪費をしないでいる人で、誰がその生活に不満を感じるのだろうか。



兼好氏は、必要最低限の生活条件として、衣食住と医療に対して不安を持たない状態をあげている。

また、それ以外を敷いて求め営むことは、思い上がりと指摘する。

確かに余分な華美を省くべき遁世者ならではの考えと思う。


難しいのは、衣食住、医療に不安が無い人は、気持ちが安定する。

そして人は安定すると、逆に刺激を求めたくなる。

刺激に疲れれば、静かな安定を求める。

人間は、自分に無いものを求めるものなのだから。


つまり、静かな安定だけでも、激しい快楽の中だけでも、人は生き続けられない。

さて、それをどう考えるかは、その人次第になるけれど、要はバランス感覚。

静かになり過ぎず、激しくもなり過ぎず、清浄になり過ぎず、悪に染まら過ぎずではないだろうか。




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