第170話第百二十四段 是法法師は、浄土宗に恥ぢず
(原文)
(舞夢訳)
※
のがれても 同じ憂き世と 聞くものを いかなる山に 身を隠さまし
(新千載集)
この歌を知るだけでも、兼好氏の尊敬した理由がわかる。
どこの深山幽谷に逃れ修行を積んだしても、御仏から見れば、同じ憂き世と言われている。
そうであるならば、どんな山にその身を隠そうとするのか。
世間から逃れて深山幽谷で修行したところで、御仏にとっては、憂き世も深山幽谷も、差別はない。
憂き世のほうが、辛いこともあるのだから。
そもそも、阿弥陀の名を唱えれば、人は遍く、阿弥陀仏の意志により、救われてしまう。
その教えを気にとめず、ただ憂き世を軽蔑して深山幽谷に籠り修行だけの生活を送る、または仏道の知識をひけらかす、自慢したがるなどは、御仏から見れば全く滑稽なこと。
特に救いの条件に、修行絶対主義を唱える人には、耳の痛い歌と思う。
絶対お布施主義の僧侶は、今でもほとんどであるけれど、この歌の趣旨など、さっぱり理解できないのではないだろうか。
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