第236話第百七十段 さしたる事なくて
(原文)
さしたる事なくて人のがり行くは、よからぬ事なり。
用ありて行きたりとも、その事果てなば、とく帰るべし。
久しく居たる、いとむつかし。
人の向かひたれば、詞多く、身もくたびれ、心もしづかならず。
よろづの事さわりて時を移す、互ひのため益なし。
いとはしげに言はんもわろし。
心づきなき事あらん折は、なかなかそのよしをも言ひてん。
同じ心にむかはまほしく思はん人の、つれづれにて、「いましばし、今日は心しづかに」など言はんは、この限りにはあらざるべし。
阮籍が青き眼、誰もあるべきことなり。
そのこととなきに人の来りて、のどかに物語りして帰りぬる、いとよし。
また、文も、「久しく聞えさせねば」などばかり言ひおこせたる、いとうれし。
※阮籍:中国晋代、竹林の七賢の一人。人を喜んで迎える時は青眼で対し、嫌いな相手には白眼を向けた。「白眼視」の語源。
(舞夢訳)
たいした用事がないのに、他人の家を訪ねるのは、感心しない。
たとえ、用事があって訪ねたとしても、用事が済めば、さっさと帰るべきである。
いつまでも長居するのは、実に煩わしい。
人と人が向かい合えば、口数も多くなり、身体も疲れるし、気持ちも落ち着かない。
いろんな面で問題があるし、お互いの利益にはならない。
嫌そうな顔をして話をするのも、よくない。
言いづらいことがある場合は、かえってはっきりと、言ってしまうほうがいい。
ただし、心が通じ合ってしまい、もう少し向かい合っていてもいいと思っている人が、退屈していて、「もう少し居て欲しいのです、今日はじっくりと話し合いませんか」などと言ってきた場合には、この限りではないと思う。
阮籍が好んだ相手に向けた青眼は、どんな人にもありそうなことである。
また、特に用事がない人が来て、のんびりと話をして帰ったのは、実に面白い。
それと手紙の場合で、「長い間、御無沙汰しております」などだけを書いてよこしたのも、なかなかうれしいものである。
前半が訪ねる場合の、マナー。
末尾で、不意に訪れた人との、のんびりした会話とか手紙を喜ぶ。
スッキリと用事を済ませるだけの淡い交わり。
気が乗れば、うちとけて話をすることもある。
最後の手紙についての文も、なかなか、よくわかる。
長い間、連絡をしなかった人に、メールでも送ろうかと思ってしまう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます