第152話第百九段 高名の木のぼりといひし
(原文)
高名の木のぼりといひしをのこ、人をおきてて、高き木にのぼせて梢を切らせしに、いと危ふく見えしほどは言ふ事もなくて、降るるときに軒長ばかりに成りて、「あやまちすな。心しておりよ」と言葉をかけ侍りしを、「かばかりになりては、飛び降るるとも降りなん。如何にかく言ふぞ」と申し侍りしかば、「その事に候。目くるめき、枝危ふきほどは、おのれが恐れ侍れば申さず。あやまちは、やすき所になりて、必ず仕る事に候」といふ。
あやしき下臈なれども、聖人の戒めにかなへり。
鞠も、難き所を蹴出して後、安く思へば、必ず落つと侍るやらん。
(舞夢訳)
木登り名人と称された男が、他人に指示して高い木に登らせ、梢を切らした時のことである。
木登り名人は、本当に危ないと見える時には何も言わず、降りてきて軒の高さぐらいになってはじめて、「失敗せんとな、気をつかっておりなはれ」と言葉をかけた。
私(兼好)は、
「あの程度の高さまで降りたのなら、飛び降りることもできるやないか、何でそんなことを言うんや」と言葉を掛けた。
すると木登り名人は、
「その事にございます、目がくらむような高い所や、枝が危なく折れそうな時には、本人が自然に気を付けるのでございます。されど、失敗や怪我は、もう大丈夫や、という場所まで来て、しでしかしてしまうものなのでございます」
と言う。
身分としては低い男ではあるけれど、その言い分は、聖人の戒めと異ならない。
蹴鞠にしても、難しい場所から上手に蹴りだしてから後に、安心してしまって、必ず失敗して地面に落ちてしまうと、聞いたようなことがある。
この木登り名人の言葉は、まさに金言。
怖い場所で神経を研ぎ澄まして動いている時に、他人から「ああでもない、こうでもない」と言われると、混乱するし邪魔でしかない。
しかし、その怖い場所を過ぎると、人はつい手抜きをしたくなる。
そして気を抜いたまま、目的到達直前で、つまらないミスをして、怪我や損害を負ってしまうし、自分自身のウカツさにも、後悔しきりとなる。
危ない時は当然神経を使うけれど、最後まで気を抜いてはならない。
これは、どんな仕事をする場合でも、意識すべき必須の言葉と思う。
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