第42話第二十七段 御国ゆづりの節会
(原文)
御国ゆづりの節会おこなはれて、剣・璽・内侍所わたし奉らるほどこそ、限りなう心ぼそけれ。
新院のおりさせ給ひての春、詠ませ給ひけるとかや、
殿守の とものみやつこ よそにして 掃はぬ庭に 花ぞ散りしく
今の世のことしげきにまぎれて、院には参る人もなきぞさびしげなる。
かかる所にぞ、人の心もあらはれぬべき。
(舞夢訳)
御譲位の節会の際に、剣・爾・鏡の三種の神器を、お渡し申し上げる時ほど、寂しい限りのことはない。
新院が、その位をお退きになられた年の春に、このようにお詠みになられたと言う。
主殿寮の役人たちが、見ることも無く掃除もしない、この御所の庭は、一面が散った花で敷かれている
新しい御世の仕事が忙しいことにかまけて、新院の御所には、誰も参上する人がいなく、実に寂しい限り。
このような時にこそ、その人間の心の本当の姿があらわれるというものである。
※御国ゆづりの節会:譲位の節会。天皇が皇太子に位を譲る時に、臣下に酒宴を賜る儀式。この段に書かれているのは、文保2年(1318)。花園天皇から後醍醐天皇への譲位の節会。尚、兼好氏は当時36歳。
※内侍所:御神鏡の八咫鏡を奉安することから、鏡の意味にも用いる。
御譲位の際の新しい御世への不安、御譲位が行われた後の、かつての臣下たちの先の帝をまるで無視するような、無礼とも言える手のひら返し。
「そういう時にこそ、人の本性が出る」と、兼好氏は嘆く。
あと、二週間で平成から令和の時代となる。
令和を歓迎し、過ぎ行く平成にも感謝の念を忘れない。
私はこの思いが、時代の移り変わりの時期にいる人間としての、基本的な礼儀だと思っている。
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