145話 地獄の業火!

 5月25日の深夜。


 中央政府軍に追い詰められたサースロン侯は、城塞を放棄し五千の騎士団と共に逃走した。彼らが目指したのは神秘の森。森を走り抜け、ガルリッツァ連合国に亡命するつもりである。


 翌朝、領主のいなくなった城塞は政府軍に降伏を申し入れた。そして侯爵の逃亡を知った彼らは、五万の兵を率いて怒涛の追撃を開始したのだ。




「大変です、お祖母ばあさま! 神秘の森にはゴブリアード王国があります。オベロンさまの結界を張ってありますが、わたしは念のため王国に戻ります!」


「気をつけるのじゃぞ、マリアンヌ。わしらはこの城塞に残り住民を守る。同国人だから略奪は起きぬと思うが、万が一があるのでな」


「わかりました、でも気をつけてください。エリック、アローラ、ファム、ハリルくん、お祖母さまの護衛をお願い」


 マリナカリーンたちと別れ、マリはコマリと連絡を取りゴブリアード王国に帰還したのだ。




 王国に戻った彼女は厳戒態勢を敷かせた。森で働いているすべてのゴブリンを王国に避難させる。


「ゴン、この森に数万の軍隊が侵入して来るわ。結界を張っているけど、何が起こるか予想できないの」


「わかりました……おおきなおとをたてないようなかまにてっていさせます」


「もしもの時は城を放棄するからね。空間の門を安全な場所につないであるから、それを使って避難して」


 ゴンに指示を出して、マリは一息ついた。


「マリアンヌ、大丈夫ですかー?」


 ローラが心配そうな顔で見ている。


「お母さま。ダンジョンはともかく王国が見つかることはありません。シルフィさんの説明では、ここは神聖魔力が濃く結界が完璧に働くそうです」


「そうですねー、今は妖精王さまのお力を信じるしかありません」



 ◇*◇*◇



 それから二日が過ぎた。予想では、サースロン侯を追撃する政府軍が神秘の森に入ったころだ。


 最初に異変に気がついたのはコマリだった。


「ママー、へんなにおいがするー」


「どんな臭いなの?」


「う~ん、よくわからない」


 首をひねるマリだが、すぐに状況が判明した。


「マリ! たいへん……もりがもえています!」


 ゴンの声が響き、マリも城のテラスに出て周囲を見渡した。すると、空が真っ赤に染まっているのだ。


「コマリ!」


 彼女は黄金の竜の背中にまたがり上空に舞い上がった。そして森を見下ろせば、巨大な炎の柱があちこちから上がっている!


「おかしい! 森林火災が起きるような気温じゃないわ。それに、こんな複数の場所から火の手が上がるはずない!」


 意図的に火を放った者たちがいる!


「しまった! 付け火を警戒してゴブリンたちに森を監視させておけばよかった。小さなうちならなんとかできるけど、これだけ広がったらどうしようもない!」


 軍隊の影に怯え、すべてのゴブリンを王国に戻したのが失敗だった。どんな窮地でも見張りを怠ってはいけなかったのだ。


「今は後悔している場合じゃない。何か手を打たないと」


 コマリなら防火帯を作れるかもしれない。マリは煙に巻かれながら注意深く観察した。しかし、すでに火はあちこちに広がっている。風向きも複雑で、彼女の知識ではどこに防火帯を作ればいいのかわからない。


「もう消火は無理ね」


 マリはあきらめ引き返した。残された仕事は、できるだけ被害を出さずに避難することだけだ。


 王国に戻ると、すでにもの凄い煙と熱波が押し寄せている。だが幸いなことに、ゴンの指示でほとんどのゴブリンが避難を終えていた。


「マリ……ひなんはおわっています……なにももちだせませんでしたが……なかまたちはみんなぶじです」


「それでいいわ、ゴン。素晴らしい判断よ。わたしたちも空間の門を使って避難しましょう。全員の無事を確認したら門を閉じます」


 こうして、マリとコマリ、ゴンは門の中へ入って行ったのだ。



 ◇*◇*◇



 それから二週間。


 火災も収まり、マリたちはゴブリアード王国に戻った。しかしそこは王国でなく、無残に焼け焦げた残骸があるだけだ。ゴブリンたちと一緒に作った建物。保存していた食料。苦労して耕した畑もすべて全滅している。


 グオオォォ――――――ォォオオオオッ!!


 コマリの悲しい咆哮が焼け野原に響き渡った。それに続き、神聖ブレスの巨大な閃光が何度も何度も空に向かって放たれる。


 バリバリバリッ、ゴゴゴゴゴゴォオオオ!!


「悲しいでしょう、苦しいでしょう……コマリ、そんな時は思いきり泣きなさい」


 マリが竜の顔を全身でなでると、その目からとめどなく涙が流れ出たのである。




 王国は業火にのまれ、すべて燃え尽きてしまった。だが、幸いなことに神秘の森はまだ半分残っている。マリたちは新しい土地を探し、そこに集まった。


「前回はコマリの力に頼りすぎたわ。もっと、ゴブリンたちの力を引き出せる国にしていかないとね」


 ゴンに向かってマリが話す。


「はい。ゆくゆくはりゅうじんさまにたよらず、なかまたちだけでうんえいしないといけません。いま、ぞくちょうたちとはなしあっています」


「ゴン、頑張るのよ! あたいも手伝ってあげるから」


「はい、みあ!」


 ミアに抱かれたゴンはやる気満々だ。


 こうして、新ゴブリアード王国の建設が始まったのである。



 ◇*◇*◇



 王国の再建とは別に、マリには大きな仕事が残っている。


 彼女は、焼け跡に残されたダンジョンを視察した。そこは地獄で、地下に棲んでいた魔物のほとんどが死に絶えている。熱風と煙、酸欠で命を奪われたのだ。


「可哀想に……」


 ダンジョンを歩きながら、マリは涙をこらえることができない。


「ここだけじゃない。神秘の森で暮らしていた無数の魔物が死んでしまった。闇魔力を取り込んでいるとはいえ、彼らだって生きていたのに」


 やがて、マリは最下層までたどり着いた。そこには、アマルモンたちが持ち出しきれなかった小さな闇結晶が散乱している。


「こんな物のために悲劇が起きてしまった」


 闇結晶は竜体が生み出す。多くが魔族によって管理され、人間社会に出回ることはない。だが一部は流出し、闇の魔導士会のような組織に利用されてしまうのだ。


「これは竜族の責任ね。何とかしないと痛ましい事件が何度でも繰り返される」


 マリは固く決意した。それに、今回のケジメは付けなくてはならない。


「こんな真似はしたくないけど、放っておくわけにもいかないわ。愚かな行為を繰り返さないよう警告しておかないと」


 マリは闇結晶の欠片を見つめ唇を噛みしめる。そして、足早にダンジョンをあとにしたのだ。

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