162話 天界の最長老、ラグエル

 ペネムと一緒に館の中入ったマリは、寝室に案内された。そこにいたのは年老いた男のセラフィムで、体が不自由なのか、二人が部屋に入ってもベッドに横たわったままだ。


「最長老さま、聖女さまをお連れしました」


 マリとペネムはベッドまで歩み寄り、近くに置いてある椅子に座った。


「聖女さま、ようこそいらっしゃいました。私が最長老のラグエルです。ご覧のように体が言うことを聞きません。失礼はどうかお許しを」


「構いません。それより病気ですか? よろしければヒールで治療しますが」


「ありがとうございます。ですが、病気ではなくただの老衰です。ご心配には及びません」


 マリは心の中でため息をついた。ヴィネス侯もそうだったが、老衰だけは彼女の力でもどうにもならない。


 うつむいた彼女にペネムが声をかける。


「セラフィムの寿命は一万年ほど。最長老さまは一万一千年も生きて来られました。そして、長い責務からようやく解放されるのです。喜ばしいことで、悲しむことではありません」


「そうです。聖女さまは竜族ですから、私の気持ちを理解されるときがやがて訪れましょう。あなたの曽祖母さまも、穏やかに逝かれたと聞いております」


「曽祖母と親しかったのですか?」


「ニーナマリアさまには、小さなころ可愛がっていただきました」


 その言葉をマリは素直に信じることができた。ホワイトゴーレムはニーナマリアの親衛隊だ。彼女はよほどラグエルを信頼していたのだろう。そうでなければ、ホワイトゴーレムを二百体も託したりしない。


「わかりました、ラグエルさま。それで、わたしと話し合いたいそうですね」


「はい。聖女さまにお願いしなければならないことがあるのです」


 こうして二人の会談が始まったのだ。




「聖女さま。少し回りくどいですが、天界の成り立ちからお話ししましょう」


 彼は寝室の天井を見つめ話しだした。


「ヘヴン島はニーナマリアさまがお作りになられました。ルーン海にある島の一つを重力制御スキルで空中に浮揚させたのです。そしてその地を天界と命名し、私たちに与えてくださった」


 島は極秘に作られ知る者はほとんどいない。アルセルナ連盟の北、魔の森の上空に浮かんでおり、強力な気配絶ち結界で存在を隠している。直径は百キロあり、数万人のセラフィムが暮らしているのだ。


「天界と地上の交流は完全に断たれています。私たちは誰一人として地上に降りていませんし、地上から一人のお客様を迎えたこともありません。それがニーナマリアさまとセラフィムの契約で、一万年のあいだ厳格に守られてきました」


「どうしてそこまで交流を避けるのです?」


 マリの質問に、ラグエルはベッド横の引き出しから小箱を取り出した。そして、その中には金色に輝く魔法玉が収められていたのだ。


「不老玉ですね」


「聖女さまはご存じでしたか。確かにこれは不老玉で、人間なら十歳若返ることができます。セラフィムだけが作れる魔法玉で地上にあってはいけない物ですが、どこで見かけられました?」


「魔の森にあるエルフの隠れ里です。すでに亡くなられましたが、そこの最長老さまが作られていました―――もしかして、その方はセラフィムなのですか?」


「間違いないでしょう」


 そしてラグエルは難しい顔でつぶやいた。


「心配していたが、残っている者がおったとは」


「ええ、でも地上にいるセラフィムはわずかだと思います。わたしの知る限り二人だけですし、彼らはもうアルデシアにいません。あと、わたしの臣下でファムという者が、不老玉を作れる人を知っている可能性があります」


 ファムは不老玉を使い千年は生きている。おそらく、隠れ里の最長老以外に不老玉を作れる人物と関係があるはずだ。


「それで、不老玉は地上世界でどのように扱われておりますか?」


「極めて貴重なアイテムで、ほとんど出回っていません。存在を知る者もごくわずかで、話題にのぼることも稀です」


「安心しました。大きなトラブルは起きてないのですね」


 彼は、ふ~っ、と安堵のため息をもらした。




 一万年ほど前、セラフィムはニーナマリアが開けた次元の門をくぐりアルデシアにやって来た。彼らはエルフに似た普通の種族だったが、次元を超えた影響か、それとも魔力の影響か、若さを操る特殊能力、不老術を身につけたのだ。


 その力の重大さに気がついたニーナマリアは、彼らを元の世界に帰そうとした。しかし次元が安定しておらず、再び門を繋ぐことができなかったのである。


 困り果てた彼女は、セラフィムを隔離することにした。そのために作られたのが天界で、ここは夢の世界でも理想の国でもなく、彼らを閉じ込めるための鳥かごだったのだ。


「私たちセラフィムは天界に移住しました。二ーナマリアさまと契約をかわし、地上の人間と接触しないと誓ったのです」


「しかし、上手く行かなかったのですね」


「そうです。ほとんどのセラフィムは天界に来ましたが、連絡を取れなかった者が十名いました」


 おそらく、サタンや隠れ里の最長老がそうだったのだろう。


「しかも、大量の不老玉が回収できず地上に残ってしまったのです」


 このあとラグエルが語った内容は悲惨だった。


 高い倫理観を持った竜の民でさえ不老の誘惑に勝てなかった。地上に残ったセラフィムと不老玉を巡り、ルーン帝国は大混乱に陥ったのだ。やがて戦争が始まり、大崩壊という破局につながったのである。




 話を聞き終え、マリは大きなため息をついた。


「わたしは、不老玉の本当の恐ろしさを理解していませんでした」


「それは仕方のないことです。私は惨劇をこの目で見ましたから、不老玉がどれだけ危険か知っています。また、不老術を使うセラフィムの存在がいかに危ういか、そのことも痛いほどわかっております」


 そこまで話したあと、ラグエルはマリを真剣な目で見た。


「聖女さま。私たちが天界にいる限り、不老術が人々を混乱させることはありません。ですが、一つだけ心配があるのです」


「どのようなことです?」


「地上の残された不老玉の行方で、我々の推測では十万個ほど残っております。できることなら回収したい」


「ラグエルさま。今日の会談は、不老玉の存在と恐ろしさを、竜族に知らせるためなのですね」


「はい。私が寿命を迎える前に、この問題を片づけておきたいのです」


「わかりました。わたしたちが責任を持って調査しましょう」


 こうして、マリはラグエルと固い約束をして地上に帰還した。そして、ペネムが同行することになったのである。

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