108話 小悪魔のような少年

 暗黒樹の化身を誕生させ闇魔力の制御に成功したマリは、聖都に帰還した。竜神宮に到着すると、竜王のシスがユーリの体を丹念に調べる。


「どうですか、ユーリくん。体や心に違和感がありますか?」


「いいえ、いつもと変わりません。ただ、知らないことが記憶の中にあって不思議な気分です」


「それは暗黒樹の知識と記憶ですね。それと、前の化身だったデボラというダークエルフの意識も混じっているかもしれません」


 診察の様子を見ていたマリがたずねる。


「あの、竜王さま。ユーリくんは暗黒樹のそばにいなくても大丈夫なのですか?」


「構いません。離れていても闇魔力のネットワークで繋がっていますから」


 竜王が言うには、今は闇魔力に体を馴染ませる時期で、むしろ暗黒樹のそばにいない方がユーリにとっていいらしい。


「ユーリくん、しばらく聖都にいてくださいね。そして、何かあったらすぐに会いに来てください。シスの館にいますから」


「はい、竜王さま」



 ◇*◇*◇



 翌日、ユーリに会うためハリルがセイルーン城にやって来た。


「ハリル。竜王さまの命令で、しばらく聖都に滞在することになったんだ」


「ユーリは暗黒樹の化身になったばかりだから、その検査があるんだね。それで、どれくらい聖都にいるの?」


「半年は居ないといけないって」


 それを聞き、ハリルが嬉しそうに微笑む。


「でも不思議だよ。暗黒樹の化身になってもユーリは以前のままだもの」


「今は闇魔力を抑えているから。そうだ、ちょっと見ていて」


 彼はシャツを脱ぎ上半身裸になった。それを見てハリルの頬が赤く染まる。


「ハリル、エッチなことを考えてない?」


「か、考えてないって!」


「ならいいけど」


 ユーリは笑いながら話を続ける。


「闇魔力を開放して見せるから」


 やがて彼の体は褐色に変わり、体全体に漆黒の文様が浮かび上がる。背中からは黒い翼が生えてきた。


「綺麗だね。イフリータさんみたい」


「綺麗なだけじゃないよ。闇魔力で強化されてるんだ」


 ユーリは悪戯っぽくハリルを見た。


「今の僕はハリルより強いかも」


 そう言いながら、彼はハリルを押し倒し床に押しつけようとする。


「ユーリったら!」


「ほら、ほら。僕の勝ちだよ」


 二人は床の上で組み合いはじめた。




 そんな情景を、二人の女が窓からこっそりのぞいている。フェリスとリンだ。


(ユーリくんは手練れね。ごく自然に寝技に持ち込んだわ)


(本当、ハリルくんは陥落寸前よ)


 カーテンの陰に隠れ二人はささやき合う。




 床の上で転がっていた二人だが、やがてハリルがユーリの上になった。


「ハリルには敵わないや」


 その言葉が嘘なのはハリルにもわかった。暗黒樹の化身の力はこんなものではないだろう。でも悪い気分じゃない。


 激しく息をするユーリの肩を抑えながら、ハリルは彼の瞳をじっと見つめる。




(さぁ、そこよ!)


(ハリルくん、一気に行きなさい!)


 二人がグッと手を握りしめた時だった!


「おぬしら、こんなところで何をしておる」


 不意の声に驚きフェリスとリンが振り返れば、そこにいたのはファムだ。魔刀メイスイの柄に手をかけ、暗黒オーラを背景にユラリと立っている。


「ふぁ、ファム! ここは穏便に」


「そうよ、刃傷沙汰にんじょうざたは不味いって」


「なに、心配は要らん。しつけの悪い飼い犬と泥棒猫にお仕置きをするだけじゃ」


 不気味に笑う彼女を、二人は必死で押し止めようとするのだった。




 ――――それから数分後。

 城の上空では、黒い翼を生やしたユーリがホバリングしている。


「ハリルは無事かな?」


 耳を澄ますと悲鳴のような声が聞こえる。


「無事じゃないみたいだね。でも、ハリルをからかうと本当に面白いや」


 クスクスと笑った彼だが、何かに思い当たったのか急に真面目な顔になった。


「あれ? 少し性格が変わったかな。竜王さまに診てもらう必要があるかも」


 そうつぶやきながら、ユーリはシスの館に飛んで行くのだった。



 ◇*◇*◇



 そんなことがあった翌日、ルリがリンの館を訪れていた。そして、応接間で本をペラペラとめくっている。


「ふ~ん、これが女神官のあいだで話題になっている本なのかい」


 リンが渡した手作りの本には小説が掲載され、数枚の美しいイラストが一緒に閉じられている。


「文章はあたい、絵はフェリスが描いてるんだ。本に加工するのは別の人で、もう十冊ほど発行してる。それを順番に読み回してるの」


「凄い内容だね。モデルはハリルくんとユーリくんだろうけど、とても声に出して読めないよ」


「そこがいいのよ。もう大人気で読みたい女神官が後を絶たないから、フェリスが王国から腕のいい写本職人さんを呼ぶって」


 苦笑いするルリを見ながら、リンが嬉しそうに自慢する。二人で話してるとメイドが来訪を告げた。やって来たのはシスだ。


 シスは部屋へ入るなり、ルリが持っている薄い本をひったくった。


「リン姐さん! やっぱりこんな本を作ってたんだね! あたいは恥ずかしい」


 彼女は頬を染める。


「いいじゃない。神殿の戒律が厳しいのはシスも知ってるでしょう。息抜きが必要なのよ」


「それはわかるけど、ユーリくんが影響を受けて困ってるんだ」


「ユーリくんが? 彼には見せてないよ」


「見なくても影響を受けるんだって! 闇魔力は人間のそういった感情に反応しやすいし、ユーリくんは暗黒樹の化身ですからね。どうしても、女神官たちの妄想に影響を受けてしまうのです。このまま放っておけば、彼はこの本の登場人物のようになってしまうでしょう」


 シスの説明を、ルリとリンはあっけに取られて聞いていた。


「シス……話はわかったけど、あんた、しゃべり方が竜王さまになってるよ」


 シスの赤い顔が一段と赤くなった。


「ルリ姐さん、リン姐さん、知ってたんだ。あたいが竜王だって」


「知ってるも何も、最初から気がついてたさ」


「シスは魔法を無効化できるでしょう。そうじゃないかってルリと話してたんだ」


「まあ、竜王さまでもシスはシスだよ。これからもよろしく」


「う、うん……ありがとう」


 恥ずかしそうなシスを見て、二人は微笑む。


「それはそうと、この本を読む女神官が増えれば、本当にユーリくんの性格が変わるの?」


「うん、間違いないと思う。彼を診察するとそうとしか思えない」


 リンがニヤリと笑った。


「あ~っ、リン姐さん、ダメだからね!」


 シスの抗議も虚しく、ハリルとユーリ、二人の禁断の恋物語は増刊されて行ったのである。

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