109話 サラはお母さん
母親の膝の上は、幼子にとってかけがえのない場所なのだろう。それは生まれ変わったばかりの名なき魔王、ピーにとっても同じだ。
彼にとってサラの膝の上は天国だ。抱っこされ尻尾を振ると、すりおろしの果物がスプーンで口元に運ばれてくる。食べ終わると優しくお腹をなでてもらえるし、目を閉じれば子守唄が聞こえてくるのだ。
ピーも竜神宮にやって来て四か月すぎた。神聖結晶をふんだんに与えられている彼は、以前と違い黄金の肌を持つ美しいトカゲに成長している。二足歩行で立ち上がると背丈は五十センチあり、闇魔力の名残だろう、尻尾の先には黒い輪っかがあった。
その日もピーは、サラの膝の上に乗ると体を丸めた。すると膝の上からコロリと転がり落ちてしまったのだ。母親を務めてるとはいえサラの膝は小さい。ピーは何度も乗るのだが、その度にコロリ、コロリと落ちてしまう。その時のピーの悲しい顔を、サラは一生忘れることがないに違いない。
「そうやって大人になっていくのですよ」
「でも、お姉さま。ピーちゃんは赤ちゃんです。もう可哀想で」
ピーを抱きかかえるサラは涙目だ。
「いいですか、サラ。ピーは小さくても魔王です。これくらいの試練を乗り越えられなくてどうしますか。そんなことでは一人前の魔王になれません」
「そうです、ピーちゃんは魔王でした。わたしがしっかりしないと、アマルモンさまやセーレさまみたいな立派な魔王になれません」
「それに、わたしだってピーの味方です。これから二人で頑張って……」
そう言いながら、マリがピーをなでようとしたときだ。
―――――カプっ。
何度目かのマリの悲鳴が、竜神宮を駆け抜けたのである。
「マリアンヌの手はですねー、ピーにとって飴玉なのです」
ローラがピーを抱き上げて笑う。
「そういえば、ピーちゃんがお姉さま以外の人を咬んだことなどありません」
サラがピーの口元に指を持っていっても、ペロペロと舐めるだけだ。
「マリアンヌの神聖魔力は膨大で、いつも体から漏れ出しているのですよー。それにつられてピーは咬みつくのでしょう」
「でも、ローラさま。ピーちゃんは、生まれ変わる前は魔の森に住む魔王だったとお聞きしました。どうして神聖魔力がそんなに好きなのですか?」
「わかりませんねー。ひょっとすると逆なのかもしれません」
「逆……と言いますと?」
「ピーの出自は魔族でなく、神族の可能性があります。神族が闇落ちすることは多いですしー」
「ピーちゃんは神さまなのですか」
「蛇やトカゲの神族は多いですよー」
ローラとサラの話を聞いていたマリが、ある提案をする。
「お母さま。時間ができたら、この子の出自を調べてみましょう。神族には知り合いがいますし、きっと何かわかると思います」
「お姉さま! その時はわたしもお供させてください」
「当たり前です。サラはわたしの弟子で、ピーのお母さんですからね」
「ママー、コマリもいくー!」
「あなたも一緒よ。復活した竜神さまを、神族の方々に紹介しないといけません」
コマリは嬉しかったのか、マリに抱きつき頬ずりをする。それを見ていたピーも、ローラの腕を離れサラにしがみついて甘えるのだった。
◇*◇*◇
9月下旬。暗黒樹事件の熱気もすぎ去り、聖都には涼しい風が吹き抜けている。
マリはいつものように城壁の上に立ち、昇る朝日を眺めていた。目の前には白銀に輝くアルデシア山脈が東西に連なっている。
「う~~ん、日本からアルデシアに帰って来て丸二年経ったのねー」
軽く伸びをして、彼女は朝の空気を思いきりよく吸い込んだ。
「マリアンヌだったころの記憶も戻ったし、お世話になった人たちにもきちんとご挨拶できた」
正確に言えば、マリにはまだ戻ってない記憶が少しある。しかし、そんなことはどうでもいいし気にしていない。彼女はアバウトなのだ。
「ダークヴァンパイアのことは気になるけど、焦っても仕方ないわね」
気になると言えば、行方知れずのレスリーのこともそうだ。
「デボラとエルフィナに聞いた話だと、バフォメットとオセはサタンの配下みたいだし、たぶんレスリーも一緒にいるのでしょう。よからぬ連中が雁首を揃え、いったい何を企んでいるのやら」
大変なことだが、マリはつい笑ってしまう。
「ピー、ピー」
不意の声にマリは驚き振り向けば、そこにいたのは黄金のトカゲ、ピーだ。
「ピー、あなたいたの?」
彼を見れば、朝日に向かって手を合わせ熱心にお祈りしている。
「ねぇ、何をお祈りしたの?」
マリが訪ねると、彼は身振り手振りで何かを訴えようとした。
「ごめんねー、よくわからないわ。
―――そうだ、サラならわかるかも。一緒に竜神宮に帰りましょう」
手招きすると、ピーはマリに駆け登りしっかと抱きつく。咬みつかれずピーに触れるのはこれが初めてで、彼女は感動の涙を流した。
「もう、本当にツンデレなんだから」
「ピ―――ッ」
マリは笑いながら城壁の階段を降りて行く。ピーを抱いているにも関わらず、その足取りはいつも以上に軽やかだった。
三章 転生聖女と闇結晶の謎
―――完。
◇*◇*◇*◇*◇*◇*◇
今回で三章が終わります。いかがでしたでしょうか?
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