37話 戦争の足音

 魔王ブーエルを滅ぼす決心をしたマリだが、実際に討伐しようとすると問題が山積みで、具体的なことは何も決まっていなかった。


「ブーエルはアルーン城にいて、二千人の衛兵に囲まれてる。これをどうにかしないと討伐なんてできっこないわ」


 彼女は大の字に寝転がり、天井を見つめながらため息をこぼした。


「やっぱりあの子に頼るしかないか」


 マリが思い浮かべたのはコマリだ。彼女が黄金の竜になれば、城を襲撃してブーエルを滅ぼすなど造作もないだろう。レーザーブレスを使えば衛兵を巻き込んで死なせても、マリの蘇生魔法で生き返らせることができる。それに、こういう時のため射撃の練習を欠かさず続けているのだ。


「わたしが頼んだら、コマリは喜んでやってくれるだろうし」


 とは言ってみたものの、このやり方は気が進まなかった。善悪の区別がつかない子供に、人を撃つようなまねはさせたくない。


「でも、このままだと戦争を避けられない」


 不思議な声の主は、ブーエルが戦争を仕掛けて来ると言っていたのだ。


「そうなったら多くの戦死者が出てしまう。神国兵はわたしが蘇生するとして、王国兵まで生き返らせるわけにはいかないよね……可哀想だけど」


 平和な日本で生まれ育ったマリにとって、戦争は実感のない空想世界の話だ。それでも死にたくない気持ちは理解できるし、戦死した兵士の家族が悲しむ姿も想像できる。夫や息子を失えば、経済的に困る家庭がたくさん出るだろう。


 戦争は絶対に嫌だ!

 でも、コマリに酷いことをさせたくない!


 彼女はどうしていいかわからず、頭を掻きむしりながら床を転げ回るのだった。



 ◇*◇*◇



 そんなマリの悩みなどお構いなく、非情な現実が容赦なく襲って来た。

 2月3日、とんでもない報せがミスリー城に届いたのだ。


「宰相閣下、ルーンシア王国が戦争の準備を始めたようです」


「それは本当か!?」


 グレンの報告に、ヴィネス侯爵は驚きの表情を隠せなかった。


「冒険者ギルド・アルーン支部から届けられた情報では、王国は武器や防具、それに食料などの物資を大量に買い付けています」


「買い付け量から予想して、王国軍の規模はどれくらいになりそうかね?」


「ざっと計算して二十万かと」


 思わず宰相がよろめく。


「大丈夫ですか、閣下?」


「ああ……ちょっと目まいがしただけだ」


 そう言って息を整える。


「事態は最悪だな。それだけの大軍を迎え撃つ戦力など神国にはない」


「はい、残念ですが」


 グレンも厳しい表情で同意した。


「ですが閣下、戦争が始まるのはまだ先です。今は雪で行軍できません。王国軍が国境に現れるのは4月になってからでしょう」


「まだ、二か月近い余裕があるか」


「そうです。その間に、できる限りの手を打ってみるしかありません」



 ◇*◇*◇



 それから数日後、マリの館にソフィとグレンが訪ねて来た。


「どうしたの? 二人が一緒なんて、ずいぶん珍しい組み合わせね」


 首をかしげるマリに、ソフィが説明する。


「ごめんね、マリ。実はお願いがあって押しかけて来たの」


「ソフィの頼みなら、どんなことだって聞いてあげるわよ」


「そう言ってくれると思ったわ。でも今日は少し違うのよ。わたしは付き添いで、頼みがあるのはグレンさんなの」


(なるほど。話しづらいことなので、ソフィと一緒に来たわけか)


 マリはうなずきグレンを見る。


「それで、どのような頼みでしょう?」


「はい、聖女さま。私の部下のルリ、リン、シスの三人に、ステータス上昇魔法を伝授して欲しいのです。可能でしょうか?」


「あの魔法は弟子のサラもマスターしています。彼女たちの魔力であれば、一週間もあれば覚えられるでしょう」


 マリはそう答えながら、グレンがどうしてこんなことを頼むのか、何となく事情を察した。戦争が起きそうなのだ。少しでも戦力を増強したいのだろう。


「ですが、あれは危険な魔法です。安易に使い手を増やしたくありません。それに、戦争に使われるなら教えたくないです」


「いえ、戦争に使うつもりはありません」


「では、何に使うのです?」


「魔王ブーエルの討伐です」


 その答えにマリは目を見張った。


「わかりました。詳しい話を聞かせてください」




 グレンが説明したのは『首狩り戦術』だった。精鋭部隊を使った潜入作戦で、敵の首脳を刈り取るのだ。


「ルリは気配断ち結界を使えます。それに加えてステータス上昇魔法があれば、私たちだけでブーエルを滅ぼせるでしょう」


「グレンさん、その作戦はわたしも考えたことがあります。しかし高度な訓練を積んだ部隊が必要ですし、今から準備したのでは間に合いません」


「実行部隊ならすでにあります」


 グレンの言葉をソフィが補足する。


「マリ、グレンさんは奇襲部隊の隊長を務めたことがあるのよ」


 今から五年前、神国と隣国のグレゴ衆国とのあいだで紛争が起きた。そのとき百人の冒険者で決死隊を結成し、敵軍の総司令官を打ち取ったのがグレンだ。彼の活躍のおかげで神国軍は辛くも勝ちを得た。グレンがミスリーの英雄と呼ばれ、若くして冒険者ギルドマスターになれたのは、そういう理由である。


「あの作戦は話題になってね、騎士見習いだったわたしも興奮したわ」


「素晴らしい実績ですね、グレンさん」


「向こう見ずな作戦でした。いま思い出すと冷や汗が出ます。

 それで話を元に戻しますが、そのときの戦友が三十名残っています。厳しい訓練を受けた連中で、今回の作戦も必ずやり遂げてくれると信じています」


 彼の話を聞いてマリは考える。気配断ち結界にステータス上昇魔法、それに加えて練度の高い奇襲部隊がいれば、ブーエル討伐は可能かもしれない。


「わかりました。グレンさんに協力しましょう」


「それでは、ステータス上昇魔法を教えていただけるのですね」


「はい」


 こうして、ブーエル討伐計画が本格的に動きだしたのである。

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