93話 魔王ベリアル

 魔の森にはかつて数百人の魔王がいた。多くの魔族を従え、魔の森の覇権を巡って争い、そして多くの魔王が滅びた。ある者は魔王同士の戦いで、またある者は森を追われはぐれ魔王となり、人間に打ち滅ぼされたのだ。


 森に現存する魔王は八十五人、その中でも特に有力な三人の魔王がいる。


 一人は、西に勢力を持つ魔王サタン。実力一位であり、いずれ魔の森の覇者となる魔王だ。もう一人は、北に住まう魔王アザゼル。さらにもう一人は、南の魔王ベリアル。この二人はサタンに及ばないが、協力すればサタンを上回る。


 三人の魔王たちは互いに牽制し合い、魔の森は微妙なパワーバランスが保たれている。そして森にはもう一つの新興勢力がある。それはダークヴァンパイアだ。


 三百年前、彼らは闇結晶を使い強大なアンデッド軍を作り上げた。聖魔戦争で聖女に一族の多くを滅ぼされたが、彼らの能力は高く、魔王に次ぐ勢力として魔の森での存在感は大きい。



 ◇*◇*◇



「そうですねー。戦力比は、魔王サタンが4、魔王ベリアルが3、魔王アザゼルが2、ダークヴァンパイアが1でしょうかー」


「アロルンよ、語尾を伸ばすでない。それで、その情報は確かなのじゃな?」


「はい、お師匠さまー。わたしは魔術師協会で闇結晶の流通を担当しています。それに関わる商人たちの情報なので確かかと」


「しかし、商人もたくましいな。魔王とまで取引しているのか?」


「エリックさまー、近ごろは魔王たちも人間に興味を持っています。直接に取引をしていませんが、配下を使って商人に接触しているみたいです」


 ここまで話してアローラは顔を曇らせた。


「ただですねー、その闇結晶の流通ルートがおかしいのです。まったく商品が出回らなくなったのですよー」


 マリリン、アローラ、エリックは、エトナ城塞を離れ魔の森をひたすら北上していた。リザードル襲来の理由を調べるため、魔王ベリアルと話し合うのだ。


 彼らがベリアルの領地に入ろうとしたとき、エリックが二人を制止した。


「待て、近くに何かいる!」


「ベリアルの配下じゃろう。わしが話そう」


 マリリンは辺りをうかがいつつ叫んだ。


「わしは魔術師協会の会長じゃ! 魔王ベリアルに用があって来た!」


 すると、茂みをかき分け五人の魔族が現れた。


「会長さんよ。残念だが、俺たちはベリアルの手下じゃないのさ」


「そうか、ならば用はない。さっさと立ち去れ」


「へっへっへっ。会長さんに用がなくてもこっちにはあってね。その杖にはめこまれた闇結晶を渡してもらおうか。な~に、ベリアルの客なら命までは取らねぇ。大人しくよこせばここを通してやろう」


 それを聞いたマリリンはため息をつく。


「こんなちっぽけな闇結晶が欲しいのか? やれやれ、おぬしらはよほど困窮しておるようじゃ」


「うるさい! つべこべ言わずに渡しな」


 彼女は黙って杖を前に差し出す。それを受け取ろうと魔族たちが集まった瞬間、周囲にまばゆい閃光が走り巨大な爆発が起こったのだ!


 木々はなぎ倒され砂煙が立ちこめる。それが収まると、そこには魔族たちの姿はなく、マリリンとアローラだけが立っていた。


「アロルン、見事な魔法シールドじゃ。わしの炸裂魔法を間近で受けて無事でいられるのは、アルデシア広しといえどおぬしくらいじゃろう」


「お師匠さま! 炸裂魔法を至近距離で使うのは止めてくださいって何度も言ってるじゃないですか。シールドが間に合わなかったら、わたしたちも死にます!」


「怒るときは語尾を伸ばさぬのじゃな」


「ごまかさないでくださいっ!」


「まあ、よいではないか。わしはおぬしを信頼しておる。それに失敗したときは、エリックがわれらを蘇生玉で復活させてくれよう」


 マリリンが笑いながら後方を見れば、百メートルほど離れた岩陰にエリックが隠れていた。


「相変わらず素早いの。わしの炸裂魔法にタイムラグなどないはずじゃが、それでもわずかな隙をついて避けておる」


「お前の殺気は感じ慣れているからな。撃つタイミングは読める。しかし、アローラじゃないがもうちょっと手加減してくれ。命がいくつあっても足りん」


 笑いながらエリックが近づいてくる。


「しかし、あやつらは何者じゃ? ベリアルの部下でないというので遠慮しなかったが、野良の魔族という感じでもない」


「ベリアルの『元』部下じゃないのか?」


「そうかもな。統率が乱れておるのかもしれん。これは、ベリアルに会うのを急いだ方がよさそうじゃ」


 こうして三人は、再び魔王ベリアルの城塞に向かい歩きはじめたのだ。



 ◇*◇*◇



 ここは魔の森にある城塞都市ベリルナ、魔王ベリアルの本拠地だ。城にある王の間では、若く美しい男女の魔族が何やら考え込んでいる。二人とも黒い髪に黒い翼を持ち、その容姿は瓜二つだ。


「兄さま、どうしましょう?」


「姉さま、これは難しい問題です」


 二つの玉座に座った双子の魔族、この二体こそが魔王ベリアルである。膨大な闇魔力を一つの肉体に収めることができず、二体に分裂してしまったのだ。


「ベリアルよ、まだ決心がつかぬのか? まあ時間はある。気が済むまで悩んでみればよかろう」


 来客用の椅子に腰かけたマリリンはため息をついた。彼女の後ろでは、アローラとエリックが同じように椅子に座っている。


「マリリン……いやマリナカリーンよ、そなたは魔術師協会の会長としてここを訪れたのか? それとも元聖女としてか?」


「好きに解釈してもらって結構。わしは聖女の力を捨てておるが、竜族の一人であることに変わりない」


「ならば、竜神との伝手はあるわけだな」


「兄さま、こやつを信じるのは危険です。魔族を見捨て森を去った裏切り者ではありませんか」


「姉さま。それは、わたしたち魔族にも責任があります。マリナカリーンは、少なくとも三大魔王の仲裁をしてくれました。それを蹴ったのはわたしたちです」


「しかし、兄さま……」


 ベリアルはなおも悩み続けている。


(マリリンは、三大魔王の仲裁までやっていたのか?)


 エリックが小声でアローラにたずねた。


(はい。三千年ほど昔のことですが、魔王たちの争いで魔の森が荒れ果てたとき仲裁したことがあります。しかし、話がまとまらず激怒したお師匠さまは、竜神のダンジョンを魔の森から移される決心をしました。新しい場所を探すのにわたしもこき使われたのですよ)


(なるほど、その移転先というのが神秘の森なんだな―――というかアローラ、三千年前に働いていたって、お前は何歳なんだ?)


 アローラがペロリと舌を出していると、ベリアルは決心が付いたのか椅子から立ち上がりマリリンをじっと見据えた。


「わかった、真実を語ろう。ただし、我らの存亡にかかわることゆえ他言無用だ」


 ベリアルは、部屋を出ると城の地下へ向かい歩いていく。その後を、マリリン、アローラ、エリックが追うのだった。




 やがて到着したのは、城の最下層に広がるトンネル状の通路だ。かつて竜神が作り闇結晶を貯め続けたダンジョンである。


「よく見てもらおう、これが我々の現状だ」


 松明たいまつの明かりに照らされたダンジョンの中は異様だった。太く真っ黒な木の根が辺り一面に生い茂り、そこから奥へ一歩も進めないのだ。


「こ、これは……暗黒樹の根ではないか!」


「そうだ。異変に気がついたのは今から五年前だった。そのときはもう手遅れで、地下に眠る闇結晶を取り出せなくなっていたのだ」


「兄さまの言われる通りです。わたしたちは慌てて取り出せる闇結晶を確保しましたが、それもわずか。ダンジョンが安全な場所ゆえ油断していました」


「なるほど、これは迂闊に口にできんわけじゃ。この窮状をサタンやアザゼルに知られれば、おぬしたちは滅ぼされるじゃろう」


「そういうことだ。しかし、知られるのは時間の問題。わが配下の魔族はこの事実に気がつき、逃亡する者が出はじめている」


 魔王ベリアルと共に考え込むマリリンの手を、アローラが引っ張った。


「どうした? 何か気がついたのか」


「ええ、お師匠さま。ここへ来るときに出会った魔族ですが、彼らはどうしてサタンやアザゼルのところへ行かなかったのでしょう?」


「俺もそれを考えていた。その二人の魔王が十分な量の闇結晶を持っていれば、戦力は少しでも欲しい、彼らを受け入れたはずだ」


「確かにその通りじゃ―――ということは、魔の森のかなり広い範囲でここと同じようなことが起きておるのかもしれんな。もしそうなら、リザードルたちの大移動も説明がつく」


「リザードルの大移動だと?」


 男のベリアルがたずねる。


「そうじゃ、少し前だがわしの住むエトナ城塞が千匹近いリザードルの群れに襲撃された。城塞にあったわずかな闇結晶が目当てだったのだろう」


「リザードルといえば、サタンの領地に住むモンスターではないか。彼らが大挙して移動したとすれば、あやつも我らと同じ目に合っている可能性が高い」


「兄さま、少し希望が見えてきました。マリナカリーンの言葉が真実であれば、サタンもアザゼルも簡単には動けないでしょう」


「そうですね、姉さま。闇結晶はわずかとはいえここに残っています。生き延びることができるかもしれません。それを考えましょう」


「それがよいじゃろう。必要であればわしが竜神と聖女に仲介しよう。上手くいけばこの暗黒樹の根もどうにかできるやもしれん」


「「その時はよしなに」」


 二体の魔王ベリアルは、マリリンに向かいうやうやしく頭を下げたのだ。

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