97話 竜神の杖
その日の夕方、占拠したザエル城にレスリーとユーリはいた。魔の森を一望できるテラスに立ち、南西の方角を熱心に見つめている。そこには黒くそびえ立つ巨木があった。
「ユーリ、あれが暗黒樹です」
「とても大きな木ですね、先生」
「あれでもまだ幼木です。やがて、世界樹よりも大きくなるでしょう。そして、世界樹のように化身を誕生させます」
「化身というのは、女神フレイアさまのことですね。彼女は、世界樹の意思によって選ばれたと聞いています」
「正確には世界樹の意思を『竜の力』が顕現させ、女神を誕生させるのです」
「竜の力……ですか?」
「そうです。女神が誕生するときは必ず竜王が立ち合い、竜の力を使って世界樹と巫女の融合を行います。そうしなければ巨大な神聖魔力を維持できず、世界樹は枯れてしまうのです」
「暗黒樹も、このままだと枯れるのですね」
「枯れさせはしません! そのためにユーリがいます。あなたが暗黒樹の化身になり闇魔力を制御するのです」
「でも、先生。化身を誕生させるには竜の力が必要だとおっしゃっていましたが」
「竜の力は、これに秘められています」
レスリーは輝く魔導杖をユーリに見せた。アザゼルに神聖ブレスを放った杖だ。
「これは竜神の杖といって、アルデシア三大神具の一つです」
彼は説明するが、ユーリは杖から目を逸らしうつむいてしまった。
「暗黒樹の化身になるのが怖いですか?」
「よくわかりません」
「無理もありません。たぶん、わたしは悪人なのでしょう。あなたを生贄に捧げてまでこのようなことを―――」
そこまで話したときだ!
空間が動き、彼の左手が竜神の杖と共に切り落とされてしまった!!
そこに立っていたのはシルバー・フォックス。気配断ち結界を使い、気づかれないよう接近していたのだ。彼の横にはデボラ・ビリジアーニもいる。
「ユーリくん、迷う必要などありません。あなたの役目はここで終わり。その後はわたしが引き継ぎますから」
デボラはそう言い、床に転がった竜神の杖を拾い上げた。
「何をする、ビリジアーニ卿!」
「何をするですって? そう問いたいのはこちらです。アザゼルに止めを刺さず、わざと逃がしたと報告を受けました。そうですね、フォックス」
「はい。エマニュエル卿は我々の追撃を制止しました。神聖ブレスを使うときも致命傷にならぬよう加減したのでしょう。さらに、二発目のブレスをわざと不発に終わらせ、アザゼルが逃げるチャンスを作りました」
「他の合成魔王からも同様の証言も得ています。もはや言い逃れはできません。裏切り者の末路は、あなたも知っているでしょう」
切断された左手を抑えうずくまる彼を、デボラは冷たい目で見下ろしている。
「茶番だな。最初からこうするつもりだったんだろう」
「そうよ。ここまで来ればあなたなど必要ない」
「お前に竜神の杖が使えるのか? 私がいないと暗黒樹の化身を作れまい」
それを聞いたデボラは激しく笑いだした。
「わたしたちが竜神の杖について何も知らないと思っているの? あなたを油断させるため知らない振りをしていたのよ。
―――フォックス、エマニュエル卿とこの子を牢に繋ぎなさい。それとメイスン卿にも話を聞かねばなりません。拘束を」
「わかりました、わが主よ」
そして、レスリー、ユーリ、ゼビウスの三人は、城の地下牢に閉じ込められたのだ。
◇*◇*◇
ザエル城塞から二十キロほど離れた場所に暗黒樹はあった。デボラたち侵攻軍の幹部たちは合成魔王に連れられ、空からそこに向かったのだ。
着いたところは、今にも朽ち果てそうな巨大な城塞跡だった。その中央に暗黒樹がそびえ立っている。
「デボラ、ここがルーナニア遺跡なのね」
辺りを見渡しエルフィナがつぶやく。
「一万年の昔に繁栄を極めた伝説の国、神聖ルーン帝国の首都だそうよ」
「エマニュエル卿とメイスン卿は、その遺産に興味があったというわけですな」
「そうです、ワイズマン卿。彼らは闇の魔導士会を利用し『古代竜族の遺産』を手に入れる計画でした」
「古代竜族の遺産って何なのかしら?」
「竜の力、メイスン卿はそう言ってたわ。神聖魔力と闇魔力を生み出す根源の力だそうよ。意味はよくわからないけど」
「詳しいことは、両人を絞り上げればいずれ吐きましょう」
「ええ。今は、暗黒樹の化身を誕生させるのが先決です」
準備が整い、デボラは祭壇の上に横たわった。そしてエルフィナが術式を開始したのだ。
儀式は無事の終わり、デボラは一時間後に目を覚ました。その姿は術式前と違い黒い翼が生え、美しい褐色の肌には漆黒の文様が浮き出ている。
「どう、体におかしなところはない?」
エルフィナが心配そうに見つめている。
「おかしいどころか、こんな爽快な気分は生まれて初めてよ」
デボラは指先を見つめながら何やら念じた。すると、暗黒樹の枝がザワザワと揺らぎはじめたのだ。
「なるほど、暗黒樹と融合するってこういうことなのね。樹の周囲や根がどこに伸びているのか、その状況をつぶさに把握できる」
「閣下、ダンジョンに張りめぐらされた根の撤去はできそうですか?」
「問題なくできそうよ」
デボラは目を閉じしばらく集中する。
「凄い! 根の近くには莫大な量の闇結晶がある。少し吸収してみましょう」
デボラは、右手を前方に差し衝撃波を放った。それは、近くにあった建造物を跡形もなく破壊したのだ。
「デボラ、あなた神官でしょう。闇魔力を扱えるのは知っていたけど、攻撃魔法なんて使えなかったじゃない?」
「以前はね。これは暗黒樹の力よ。そういった知識や能力が、わたしの中にどんどん流れ込んで―――グッ!」
彼女はガックリと膝を落とした。顔には脂汗が浮かんでいる。
「どうされました! 閣下?」
「だ、大丈夫……闇魔力を一度に吸収しすぎたみたいね」
「少し休みましょうか。計画は順調だし慌てることはない」
「そうね、エルフィナ。新しい体を馴染ませる時間が必要だわ」
こうして暗黒樹の化身は、レスリーが計画していたユーリではなく、デボラになってしまったのだ。
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