52話 竜神降臨!

 朝日がルーンシスタ城塞を照らしだした。


 マリはルーン街道に立ち、五万の神国軍を迎えようとしている。彼女の後ろには、ソフィ、グレン、ルリ、リン、シス、ルーンシスタ伯が立ち、二万のルーンシスタ軍が整列していた。さらに後方には、二十万の竜神教徒が大地を埋め尽くしている。


 しばらくすると、軍靴ぐんかを鳴らして神国軍が街道を北上して来た。そして、マリの三百メートル手前で行軍を止めたのだ。


「パウエル侯爵閣下、お話があります!」


 マリの清んだ声が街道に響き渡ると、パウエル侯が軍の先頭に現れた。


「何の用だ、聖女をかたる反逆者よ! 少しばかり神聖魔力を持っているのをいいことに、竜神教徒を扇動した罪は重い。大人しく捕まり裁きを受けるのだな」


「裁きを受けるのはクーデターを起こした閣下でしょう。反逆罪で逮捕されるのはあなたです」


「ふざけたことを。力のある者が権力を握る。この世の摂理だ!」


「法を破り、民を踏みにじってもですか?」


「当たり前だ! これ以上の問答は無用。全軍をもって反徒を鎮圧する!!」


 そう叫んでパウエル侯が指揮丈を振り上げたときだ―――


 バサッ、バサッ、バサッ。

 羽ばたき音が街道に鳴り響いた!


 見上げれば何かが上空を旋回している。よく見ればそれは巨大な黄金の竜で、初めて見るはずなのに全員がその竜を知っていたのだ。


 竜はマリと侯爵のあいだに舞い降り、そして凄まじい唸り声を上げた!


 グオオオォォ―――ォォオオオッ!!


 その咆哮は地面を振動させ、地震が起きたのかと錯覚してしまう。重く激しい音の波は内臓を揺さぶり骨をきしませ、それを聞いたすべての者がその場で両膝をついてひざまずいたのだ!


 それは純粋な衝撃と畏怖だった! 膝を折り、こうべを垂れ、祈ることしかできない圧倒的な存在が目の前で怒り狂っている。


 竜は何度も咆哮をあげ、小山に向けて巨大なブレスを放った! 


 バリッバリッバリッ―――ッ!!

 ゴゴゴゴォォオオオオ―――ッ!!


 目もくらむ閃光と共に大気が破壊され、辺り一帯が轟音に飲み込まれる!


 山は上半分が蒸発し、それに続いて巨大な爆発が起きた。そして、舞い上がった土煙が収まると跡形もなく消滅していたのだ!




 マリがパウエル侯を見れば、腰を抜かしその場にへたり込んでいる。


(よかった、コマリは上手に説得できたようね)


 彼女の作戦は、竜神を神国軍に見せつけ戦意を喪失させることだった。それは成功し、彼らは崩れるように地面に膝をついている。


 彼女は振り返りルーンシスタ伯に告げた。


「パウエル侯爵閣下の逮捕をお願いします」


 伯爵も茫然としていたが、マリの声を聞くと我に返り、グレンやソフィと一緒に侯爵のもとに向かう。


「閣下、クーデター未遂で逮捕します」


 パウエル侯を縛り上げても、五万の兵は誰一人動くことができなかったのだ。


(コマリ、ありがとう。もういいから温泉に行ってのんびりしなさい)


 竜は尻尾をブンブン振ると上空に舞い上がり、アルデシア山脈を目指して飛び去った。その姿が見えなくなっても、人々は祈るのを止めなかったのである。




 そのあと、戦意を失った神国軍はぞろぞろとミスリーへ退却して行った。捕縛されたパウエル侯、ただ一人を残して。


 こうして、神国を震撼しんかんさせたクーデター事件は幕を下ろしたのだ。



 ◇*◇*◇



 後日談を少しだけ話しておこう。


 竜神降臨の報は神国中に伝えられ、それと同時に、ヴィネス侯がミスリー城に入り宰相職に返り咲いた。クリスも姫巫女に復帰する。パウエル候、ルーンゲート候、エスタミルト侯は裁判にかけられた。極刑は免れたものの、爵位と領地を没収され国外追放される。また、クーデターに加担した者たちにも、それ相応の処分が言い渡されたのだ。




 ヴィネス侯は、ミスリー城の宰相執務室でクリスと話していた。


「クーデター事件の後始末で大忙しですが、もっと大変なのは、竜神さまがご降臨されたという事実そのものです」


「竜神さまのお怒りに、神国貴族は震え上がっているでしょうね」


「はい。彼らは民の安寧あんねいを願わず、権力闘争にうつつを抜かしていました。竜神さまに合わせる顔などありません」


「本当にそうです。貴族の責務を忘れ、政治をもて遊びすぎました。

 ―――それで、閣下。最高評議会はどのように対応されるのです?」


「神国は、主権を竜神さまにお返しすることになります」


「聖女さまが竜神さまの代理人。神国は聖女自治区に併合されるのですね」


「そうなります。自治区は王国領ですから、実質的に王国に再統合されます。王国から独立して五百年、ミストレル神国の名が消え去るのは寂しいですが」


「しかし不思議な縁ですね。竜神さまがご降臨され王国を統一されたのが千年前。そのミレニアムに当たる今年、再び王国を一つにされるなんて」


 クリスはため息をもらし、執務室の窓からミスリー市街を見やった。そこでは大勢の市民が竜神降臨を祝っていたのだ。




 浮かれる市民に交じり、聖竜騎士団の団員たちも酒場に繰り出していた。しかしそれは、祝いの席というより呪いのうたげだ。


 ドンッ!

 酒瓶が音を立てテーブルに置かれた。


「マリわぁ! マリわろこにいるのよぉ?」


「ソフィ~、マリわぁ、フェリスと一緒に王国え逃げちまったよ~!」


 ソフィとルリは、酔っ払いくだをまいている。


「いいじゃないかお前たち。聖女さまだって悪気があったわけじゃない」


 なだめているのはグレンだ。


「旦那の言うとおりだって。マリが竜神さまのことを話さなかったのは、あの場にいた全員に衝撃を与え、戦意を喪失させたかったからだよ」


「旦那とリン姐さんに賛成! マリが竜神さまを呼んでくれたおかげで、奇跡的に戦死者が一人も出なかったじゃん」


 リンとシスも二人を説得する。


「それわぁ、わかるけろさぁ……せめてぇ、あたいらけに教えておいてくれれもいいじゃない! マリのいけずぅ」


 ソフィはテーブルにうつ伏して泣き出した。


「ソフィの気持ち、わかるよ~! あたいたいはともかくぅ、ソフィは特別なんらもんね~。冷たいのよ、マリわぁ!」


「ありがと~、ルリぃ! やっぱい、あたいの心のお姉さんらわ~」


 マリへの怨嗟えんさの声を上げていた二人だが、やがて酔いつぶれ、スヤスヤと寝息を立てだしたのだ。




「やっと静かになったか」


「荒れてたもんなー」


 そんなことを言いながら、二人の男がテーブルに近づいて来た。


「なんだ、デリック、ギルバート。お前たちも来ていたのか?」


「ああ、グレンを探していたんだ」


「酒場だろうって言われて来たんだが、何やら物騒で近寄れなかった―――それで本当なのか? 俺たちが貴族になるって」


「本当だ。聖竜騎士団の人事が決まって、団の幹部は貴族になる。団長の俺は子爵。副長のソフィは男爵。ルリ、リン、シス、それにデリックとギルバートも男爵に叙爵されるそうだ。その他の団員たちも正式に騎士になると聞いている」


 それを聞いた全員が喝采を上げた!


「お前たち、喜ぶのは早いかもしれないぞ。なにせ俺らの主人はあの聖女さまだ。危険な任務に就かされるのは確実だからな」


 グレンの言葉にたじろいだ彼らだが、すぐ笑顔に戻る。これからどんな試練が待ち構えていようと、貴族になれるのはそれ以上に嬉しい。


 だが、彼らはまだ知らなかった。本当にとんでもない任務が待っていることを。

 ―――それはもう少し先の話だ。

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