102話 シスと竜王

 イフリータの治療のおかげでアザゼルは元気になった。それを見届けたマリは、聖都に帰還することにしたのだ。


 竜神宮の居間でこれからのことを考えていると、メイドが来客を告げた。出迎えてみればシスである。


「どうしたの、シス? 今日は、ルリやリンと一緒じゃないのね」


「うん。用事があるのはあたいじゃないの」


「えっ、どういうこと?」


「聖女、用があるのはわたしなのです。お手数ですが、マリーローラに取り次いでもらえないでしょうか」


 シスの口調が突然変わり、それを聞いたマリはすぐに片膝をついた。


「わかりました、竜王さま」




 応接室で、ローラとマリは竜王に謁見することになった。


「竜王さま、孫のコマリが竜神に復帰できました。マリアンヌをお導きいただいたこと、心から感謝しています」


「ありがとうございます、竜王さま」


 母娘おやこ揃って深々と頭をさげる。


「竜体を子に引き継がせたとはいえ、あなたたちは元竜神さまです。そんなにかしこまられたら困ってしまいます。二人ともくつろいでください。今日は話が長くなりそうなのです」


 三人が椅子に座り会談が始まった。


「まず、竜王は代替わりしました。ここにいるシスが現在の竜王です。ここで話しているわたしは、魔力に刻まれた記憶の集合体にすぎません」


 竜王の言葉を要約するとこうだ―――


 以前の肉体が限界を迎えたため、竜王は竜の力をシスの体に移した。ただ融合はせず、以前の知性と知識は魔力に保存することにしたのだ。


「シスは竜王ですが昔のわたしではありません。わたしの知性にアクセスすれば、必要な情報を引き出せるようになっているのです。竜の力は常に若い精神を求めます。あなたたちが代替わりを繰り返しながら、新しい生命に竜体を引き継がせるように」


「では、以前の竜王さまは?」


「すでに朽ち果てました」


 しばしの沈黙が流れた。


「では本題に入りましょう。聖女、記憶は戻っていますね」


「はい。竜王さまのお導きのおかげです」


「それを待っていました。聖女が復活しないと、今回の問題を解決できないのです」




 それから数時間にわたり竜王の説明は続いた。それを聞いたマリとローラは、深くうなずいたのだ。


「今日はこれでお暇しましょう。必要に応じてまた会うことになります」


 こうして竜王は話を終えた。すると、シスの口調が元に戻ったのだ。


「―――という、先代竜王さまのお話でした。あたいは聞いてなかったけどね。先代の知性にはあまりアクセスしない方がいいんだってさ。それに、あたいはあたいでいたいんだ。そういう訳で、あたいが竜王だってことは、ルリ姐さんやリン姐さんには内緒だよ」


「わかったわ。しゃべらないから安心して」


「いすれ二人に話すことがあるかもだけど、そのときは自分で話したいしね」


 そして、シスは自分の館に帰って行ったのだ。



 ◇*◇*◇



 それから数日経った。ユーリは今後のことを相談するため、マリの住む竜神宮を訪ねることになった。彼の横にはハリルがつき添っている。


「ハリル、護衛してくれてありがとう。聖都には知り合いもいないし、君がそばにいてくれると心強いよ」


「ユーリは闇の魔導士会に狙われてるからね。僕が必ず守るから安心して。それより不便なことはない? 服とか身の回りのものとかさ」


「セイルーン城の暮らしは快適だよ。日用品も揃ってる。でも、着替えの服は欲しいかな」


「じゃあ、マリさまの話が終わったら街へ買い物へ行こうよ。ユーリに必要なものを買うお金は、僕が預かってるからさ」


「嬉しい。君って本当に頼りになるんだね」


 礼を言うユーリの顔は妙に近く、ハリルは思わず頬を染めた。




「ハリルのやつ。デレデレしおって!」


「ファム、いいじゃない。お似合いの二人だと思うけどなぁ」


「女神官のあいだでも二人の話題で盛り上がってるの。薄い本を作って、みんなで回し読みしているくらいよ」


「何じゃ、フェリスとリンはわしの敵か! というか、どうしておぬしらがここにおる? さっさと解散するのじゃ」


 ハリルとユーリを尾行しているのは、ファム、フェリス、リンの三人だ。彼女たちは行き交う人々の冷たい視線を浴びながら、二人の後をつけるのだった。




 竜神宮に到着したユーリは、ローラやマリと話し合った。シスも一緒だ。込み入った話なので、ハリルは別室で控えてもらっている。


「ごきげんよう、ユーリくん」


「こんにちは、聖女さま」


「紹介しておくね、こちらは友だちのシス。でも中身は竜王さまなの。不思議だろうけどそういうものだと思ってね」


「お初にお目にかかります。エマニュエル卿の弟子でユーリ・マイスといいます。竜王さまのことは先生からうかがっています」


「わたしが竜王です。それで、レスリーからどういう風に聞いていますか?」


「竜の力を操るお方で、竜神さまに次いで偉いお方だと」


「ふふふ、竜神さまに次ぐ者などいません。わたしの存在など、あのお方の前ではちりあくたに等しいのです」


 竜王は愉快そうに笑う。


「話の前に、ユーリくんのいちばん知りたいことを教えておきましょう。レスリーは元気にしています。ザエル城塞を偵察して無事を確かめました」


「本当ですか! よかったー」


 安堵の吐息をもらす彼を見て、マリの顔にも笑みがこぼれた。




 それから話は進み、竜王はユーリの体を丹念に調べた。


「確かにあなたは暗黒樹の化身に最適化されていますね。さすがレスリーです。ここまで闇魔力の特性を理解していたとは」


「先生はいつも言っていました。魔力はほとばしる流れで、飲み込まれれば暴走してしまう。しかしみずからの位置を保ち、流れを見極めれば制御は可能だと」


「激しい魔力の流れの中で、自身を保つ術を教わりましたか?」


「はい。それは渦の中心にいることだと教わりました」


 竜王は深い嘆息をもらす。


「人の英知はこの域にまで達していたのですね。ローラに聖女、暗黒樹のことはレスリーに任せてよいでしょう。彼なら大きな過ちを犯しません」


「しかし、竜王さまー。このままですと、闇結晶が闇の魔導士会に独占されてしまいます。放って置くわけにはいきません」


「わたしも母の意見に賛成です。それにレスリーの野心は危うい。闇結晶を得るため魔族を滅ぼそうとしています」


「聖女さま、それは違います! 先生にそんな意思はありません」


「ユーリくんは知らないだろうけど、三百年前、彼は闇の魔導士会やダークヴァンパイアと共謀して魔族に戦争を仕掛けたのよ」


「そのことは僕も聞いています。先生の目的は魔の森を管理することで、魔族との戦争なんか望んでいません。戦争は、闇の魔導士会とダークヴァンパイアが引き起こしました。先生は、それを止めることができなかっただけです!」


 ユーリはそう言い切った。


「聖女。コマリのこともあり、あなたがレスリーに反発する気持ちは理解してます。しかし、わたしは未だに彼を信じているのです。ここにいるユーリくんを見て、その気持ちがいっそう強くなりました」


 竜王の言葉を聞き、ローラとマリはしばらく考えていた。


「わかりました、竜王さまの御心のままに」


「わたしも母と同様、お言葉に従います」




 話が終わり、ユーリはハリルと一緒に街へ買い物に出かけた。そしてその帰り道、城門の近くで二人は立ち止まる。


「ねぇ、ハリル」


「なに?」


「知ってるかもしれないけど、僕は暗黒樹の化身になるよう育てられたんだ」


「うん……知ってた」


「今は別の人が化身になってるけど、やっぱり僕の方がいいかもしれないって」


「なりたくないの、ユーリは? もしそうなら断ればいいと思うよ。マリさまは、君が嫌がることなんてしないから」


「そうだね。マリさまやローラさま、竜王さまも言ってくれたんだ。他にも方法があるから、僕が嫌ならなる必要はないって」


「迷ってる?」


「自分でもわからなかったんだ。僕は先生を尊敬してるし、先生の望むことなら何でもしたいと考えていた。でも、本当はずっと迷っていたんだと思う」


 長い沈黙が流れ、やがてユーリの顔に笑みが浮かんだ。


「決心がついたんだね」


「うん、ハリルのおかげだよ」


 ユーリはハリルに抱きついた。


「運命は自分で決めなくちゃいけない。そうしないと、君と同じ場所にいることができない気がするんだ―――変かな? 僕の言ってることって」


「ううん、変じゃないよ。僕もずっとそう思ってたから。最初は年上の女の人で、その人に認められたい一心で頑張ってた。だから誰かと対等になりたいってユーリの気持ち、痛いくらいわかるんだ」


 ハリルも彼を優しく抱きしめる。


「ハリル、今日はありがとう。それじゃね」


 ユーリは笑顔で城門をくぐり、それを見届けたハリルも街の方へ歩いて行く。


 二人が別れた近くでは、三人の女が物陰に隠れるように集まっていた。ファム、フェリス、リンだ。そして暴れるファムの口を抑えながら、二人の後姿を見送ったのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る