28話 聖女、ママになる?

 話が二時間ほど巻き戻る―――


 マリが偵察に行った直後に暴竜が復活した。そのことはベースキャンプにいたサラにもわかった。大きな地震が起き、暴竜の咆哮が彼女のところまで響いたのだ。


 しばらくして咆哮は止んだのだが、マリが帰る気配がまるでない。こういう場合は騎士を捜索に出すよう言われていたが、サラは心配する気持ちを抑えきれず自分で様子を見に行くことにした。


 聖女神殿があった場所は酷いあり様で、建物は跡形もなく崩壊している。暴竜のブレスの跡だろう、地形がすっかり変わり、岩がドロドロに溶けているのが確認できたのだ。


「どうしたらこんな破壊ができるの?」


 サラは恐怖で身震いする。


 そして彼女は、倒れているマリ、ソフィ、ハリルを発見した。それともう一人、マリが背負っている小さな女の子を見つけたのだ。ソフィとハリルはすぐに目を覚ましたが、マリと子供は意識が戻らなかったのである。




 目覚めたソフィは撤退を決め、マリを背負ってミスリーまでかけ抜ける。城へ戻ると宰相とクリス、グレンが待っていた。


「宰相閣下。暴竜復活が一日早まり、今日の昼前に戦闘が始まりました。暴竜は想定していたより遥かに強大で、わたしもハリルも不覚をとり気絶した次第です。その後のことは、意識のない聖女さまにしかわかりません」


「ご苦労だった。聖女さまは我々で看護しよう。ひとまず休んでくれ」


 マリは貴賓室へ運ばれ、サラが看護のために同行したのだ。



 ◇*◇*◇



 翌日、朝日がミスリー城を照らしだした。

 ソフィが貴賓室をうかがうと、そこではサラが一晩中マリにつき添っている。


「サラ、寝てないんでしょう。代ろうか?」


「ありがとうございます、ソフィーアさま。ですが、お姉さまの看護はわたしにさせてください」


「わかった。また様子を見に来るから、辛かったら言うのよ」


 ソフィは自室に引き返した。彼女の部屋のベッドには三歳くらいの女の子が寝ていて、それをクリスが見守っている。


「どう、様子は?」


 彼女はそうたずねると、クリスと一緒に子供の顔をのぞき込んだ。


「心配ないと思うけど、この子は誰なの?」


「わたしも詳しく知らないのよ。サラの話だと、マリが背負っていたんだって」


 二人の前で、その子はゴソゴソ動きだした。


「あ、目を覚ましそう」


 上半身を起こし小さな手で目をこする。


「ねぇ、ソフィ。この子、マリに似てない?」


「クリスもそう思う?」


 彼女は艶やかな黒髪に緑の瞳を持ち、そして何より、顔がマリそっくりなのだ。


「もしかして、マリの隠し子とか」


 ソフィが真剣な顔で言う。


「聖女さまは乙女よ。それはないと思うけど」


 クリスは首をかしげながら否定した。


 二人が見守る中、その子はクンクンと辺りの臭いを嗅いだ。そして、ベッドから飛び降りると一目散にかけだし貴賓室に飛び込んだのだ。


 突然の侵入者にサラが驚いていると、その子はベッドにかけ寄りよじ登った。そうして、マリに抱きつきこう叫けんだのだ。


 ―――「ママー!」と。




 その子は布団にもぐり込み、マリと一緒に幸せそうな寝息を立てだした。その様子を、ソフィ、クリス、サラが食い入るように眺めている。


「ね、クリス。どう見たって母娘おやこでしょう」


「う~ん。否定できないわね」


「クリスティさま、ソフィーアさま、お姉さまは聖女さまです。子供なんているはずありません」


「そのはずなんだけど―――とにかくマリに聞いてみましょう」


 ソフィは揺すってみる。マリは、モゾモゾと身動きして上半身を起こした。そして三人を見つけると、おはよう……と寝ぼけまなこで挨拶したのだ。


「お姉さま、お姉さま!」


 サラは嬉しそうにマリの手を握った。


「サラ。ソフィとクリスも来てくれたのね」


「ねぇ、マリ。意識はハッキリしてる?」


「うん、よく寝たから頭も冴えてる」


「じゃ、説明してくれる。この子は誰?」


 ソフィが指さす方を見ると、そこには竜の化身である三歳くらいの女の子が寝ていて、ソフィ、クリス、サラが真剣な目でマリを見ている。


「え、えっとね……これには深~い事情がありまして」


「どんな事情よ、マリ!」


 問い詰めるソフィの声はちょっと怖い。


 そうしていると、女の子も目を覚ましマリを小さな瞳で見つめだした。そしてマリの胸に飛びこむと、ママー、ママー、と甘えるのだ。


 マリはどうしていいかわからなかった。ママと呼ばれても身に覚えがない。というか、この子はもともと暴竜で、それはこの目で確認している。


 彼女は、女の子の頬を両手で抱え小さな瞳をじっと見つめた。すると涙があふれて止まらなくなり、感情のおもむくまま、ぎゅう~っと抱きしめてしまったのだ。


「ママー、くるしー」


 そう言いながらも女の子は満面の笑みだ。


「ねぇ、この子のことは何も聞かないでくれる。話せるときがきたらきちんと説明するから。今はどう説明していいかわからないの」


「お姉さまがそうおっしゃるなら」


「う~ん、仕方ないわ」


「マリ、そのときが来たらちゃんと話してね」


「ありがとう、みんな」




 マリは、これから宰相のところへ暴竜討伐の報告へ行かなくてはならない。


(どうしよう? 閣下の執務室へ抱っこして行くわけにはいかないし)


 考えあぐねていると、その子はサラの方へはい寄り甘えだした。


「おねーちゃん」


 そう言って頬ずりを始めたのだ。


 どうしていいかわからないサラだったが、マリそっくりなその子を見てるうちに、ぎゅ~っと抱きしめてしまう。


(ああ、その気持ちわかるなー)


 そしてマリは一計を案じた。


「お姉ちゃんとお留守番できるかな?」


 そうたずねると「あい」という元気な声が返ってくる。


「サラ、この子をお願いできる?」


「わかりました、お姉さま」


 その子を見るサラの目はうるんでいて、もうメロメロだ。こうして、マリは身支度を整え宰相の執務室へ向かったのである。




 執務室のドアを開けると、そこには宰相をはじめ暴竜討伐の関係者が勢ぞろいしていた。ハリルも来ていて、それを見たソフィがそばへ行き彼の肩を抱き寄せる。


 マリは部屋の中央まで歩いて行き、集まった人に向かい深々と頭を下げた。


「このたびは、ご心配をおかけして申しわけありませんでした」


「もう大丈夫ですか?」


 宰相が声をかける。


「はい、ぐっすり寝たので体調は万全です」


「それはよかった―――それで聖女さま、暴竜討伐の報告をお願いします」


「はい。暴竜は、わたしの魔法で滅ぼしました。二度と現れることはないでしょう」


 部屋中に歓呼の声が響き渡った!


 マリは嘘を言っていない。暴竜はもうこの世界にいないのだ。黄金の竜の化身である小さな女の子はいるけど、それは暴竜ではない。


「ありがとうございます! アルデシアは再び救われました!!」


 宰相はマリの手を取り大きく振る。その表情はとても嬉しそうだった。



 ◇*◇*◇



 暴竜討伐は、一般には知らされず秘匿ひとくされることになった。被害がまったくない上に誰も暴竜を見ておらず、討伐したと言っても信用されないためだ。


「宰相閣下から伝言を頼まれたわ。大変な思いをしてもらったのに公表できなくて申しわけない、だそうよ」


 クリスが、マリとソフィに説明する。


「いいわよ。報奨金をたくさんもらったし、それで十分だわ」


「わたしもいいわ。名誉にならなかったけど正騎士に復帰できたしね」


 二人は満足そうに笑っている。


「でも、ハリルくんは可哀想かな。あの年頃の男の子って、お金より名誉の方が嬉しいでしょう」


「マリ、ハリルには別のご褒美があったわ。国費留学生に選ばれたそうよ」


 今度はソフィが話してくれた。


「えっ? 外国へ行っちゃうの?」


「うん。あの子から聞いた話だけど、イブルーシ共和国には有名な魔術学園があるのだって。そこで勉強するのが夢で、そのために暴竜討伐に参加したらしいの。留学が決まって喜んでたわ」


 イブルーシ共和国はルーンシア王国のさらに南にある大国だ。そして、そこの首都にあるのがルーシー魔術学園である。


「ハリルも旅立つ時が来たのよ。笑顔で送り出してあげましょう」


「そうね、ソフィ。このままずっと会えなくなるわけじゃないし」


 とは言うものの、せっかく育てた人材がいなくなるのは寂しい。


「話が変わるけど、マリにも報奨金とは別に献上の品があるそうよ」


 クリスがニヤニヤしながら言う。


「何だろう?」


「わたしも知らない。でも、献上式典があるから覚悟しておいてね」


「え~っ、また式典をやるの? だったら献上品なんて要らない!」


「マリ、クリスの嘘よ。献上式典なんてないから安心して」


 胸をなでおろすマリを見て、ソフィとクリスは笑い合う。


 何はともあれ、マリはアルデシアで成すべき最大の仕事をやり遂げた。大きな満足感に、彼女の顔にも笑みがこぼれたのである。




 しかし、暴竜討伐が終わった今でもマリの転生の謎は解けないままだ。


(これからゆっくり調べて行くしかないわね。

 ―――それに、あの子を手元に置くなら名前を付けてあげないと)


 三人で笑いながら、マリはそんなことをボンヤリ考えていたのだった。

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