第4話 常識の崩壊
キャサリンは考えることを放棄しかけた。
何を言ってんだろうこの人。頭おかしいのかしら。もはや軽い笑いが出そうになる。
ペストとはなにか。それは、突然変異で生まれてきた凶悪な生物のことである。
見た目は人間と変わらないが、人間と違い強力な再生能力、自然を操る力があり、背中に虫のような羽を生やすことで空を飛ぶことができる。
奴らはその能力を使い様々な害を及ぼしてきた。なかでもフランス、オランダ、ベルギー、ドイツは2016年に、日本は2017年に、中東は2018年から、韓国は2019年にペストに襲撃され、何百、何千万人もの人間が亡くなっている。
人間はそれに対抗して、最新の技術で武装した、安全保障隊と呼ばれる部隊を作った。だが、彼らは所詮人間。ペストを殺すには唯一彼らが再生できない心臓か頭部を狙うしかなく、それは非常に難しいのだ。
そして、目の前の人間は今、自分がその最悪な生物になってしまったと発言した。ロンドンを崩壊させ、両親と兄を殺したあいつらに。
わたし、変なところに迷い込んでしまったのかな。それともこれも夢?
日向は完全に茫然としてしまったキャサリンの肩に、力のこもったしなやかな手を乗せる。
「冗談じゃないのよ」
厳しい口調だ。
「実際あなた昨日安全保障隊から撃たれたでしょう。マダー様がたまたまあなたを見つけていなければ、あなたはそのまま殺されていたかもしれないの。わかる?」
「一体何を言ってるんですか? ここはどこですか?! あなたは誰ですか?! ここから出してください!」
「ここはペストたちの隠れ家。ここにはペストである人しか入れない。だからあなたもペストだし、私もペストなの」
い……いまこの人なんて……ペスト? 嘘でしょ?
「そんなのありえない!」
「ありえるのよ、残念ながら。あなたにとって安全な場所はここしか……」
「嫌だ!!!」
キャサリンは激昂して立ち上がった。
この人がペストならば、とにかく早く逃げなきゃ。
空色の瞳が窓をとらえた瞬間、彼女は駆け出してそこから飛び降りようとした。
「あ、こら! まちなさい! 」
キャサリンは止まらない。
ペストは両親とお兄ちゃんを殺したんだ。許される存在じゃない!
「まったくめんどうね」
日向は呆れた顔をし、人差し指を上に向けて一言だけ叫んだ。
「炎・熱風波」
その瞬間、部屋に真夏の熱気が波を打った。熱い風はキャサリンの顔の上もわたり、恐怖が体中を駆け巡った。
「いっ、いやあああああ!!!」
叫び声が壁を揺らし、それと一緒にバリバリと奇怪な音が上から聞こえた。だが、キャサリンはそれに気が付く余裕もなかった。
「うるさいね! 座りなさい!」
日向が怒鳴ったので、キャサリンは体を縮こませた。
日向はしゃがんでキャサリンと目線を合わせた。
彼女は静かに尋ねた。
「なんでそんなに怖がるの?」
キャサリンはただただ首を振った。
「あなた、これから私があなたを食べちゃうみたいな反応をしているじゃない。ペストのこと、何も知らないのに」
「違う!」
キャサリンは叫んだ。一回この女を黙らせなければ。
「私の家族はペストに殺された! お兄ちゃんはまだ八歳だった! だから私ペストについていっぱい調べたの! テロばかり起こして、町を破壊する! 人を殺すことしか考えてない! どうやって信じられるの?! ありえないよ! テレビの報道を見たらわかることでしょ?!」
「あなた、まさかテレビの報道を正しいと思っているの?」
は? 何言ってるの、この人。
キャサリンは彼女の言葉にぽかんとし、逆に日向はありえないという風に笑い始めた。
「メディアの言うことを信じるなんて……あなたやっぱり何も知らないのね」
「は?!」
そのとき、電話のベルがどこからか聞こえてきた。日向はハッとして、キャサリンの腕を掴んだ。
「待って、何するの! 離して!」
「こら、暴れない」
日向はキャサリンをヒョイと担ぎ上げて、そのまま部屋から出て階段を降りた。
ものすごい力だ……揺られながらキャサリンは恐怖に震えた。
こんな細い体にこんなに力があるなんてやはりペストは危険ではないか。
日向はキャサリンを担いだまま、受話器を取った。
「もしもし?」
キャサリンはその間に逃げようと暴れたが、逃走は不可能だった。
電話の主は声を潜めて、日向に話した。
『先日お世話になったグレイです……。安保隊にうちらの隠れ家が見つかってしまって……お願いします、助けてください!』
「グレイさんね、住所はこれであってる?」
日向はぶつぶつと、電話のそばにあったノートにぐちゃぐちゃと記されていた住所を読んだ。
『はい、それです……』
「わかった。すぐに行くから、絶対に見つからないようにその場にいてね」
『はい、ありがとうございます……』
泣きそうな声で電話は締めくくられた。日向はチラッとキャサリンを見たが、そのまま建物の外に出て隣にあった駐車場へ向かった。そして、黒い砂埃で汚れた車のドアを開けると、その中にキャサリンを押し込んだ。
「え、ちょっとなに⁈ やだ!!」
「大人しくしなさい! じゃないとあんたをこの車ごと燃やすからね」
キャサリンはそこですっかり怖がってしまい、助手席で小さく縮こまった。
日向はアクセルを踏み、そのまま速いスピードでどこかへ向った。
運転しながら、日向はぶるぶる震えているキャサリンを見て「まだ怖がっているの?」と尋ねた。
「あ……当たり前でしょ!」
「まあ仕方がないよね。ペストのこと知らないでしょ? 人間が最も怖がるものは未知なるものなんだから」
「は? わたしペストのこといっぱい知ってるよ! さっき言ったじゃない! 家族が殺されたから……」
「じゃあ言ってごらんなさいよ。ペストの定義。能力は? どうやって増えていくの?」
「ぺ、ペストの定義は変な力をもっていて、空を飛べる突然変異の生物! 自然能力は地震とか……火山とか……ペストは生まれた頃からペスト! 増え方は……ペスト同士の家族からまたペストが生まれるの!」
日向はため息をついた。
「……まぁ、私たちの力が放射線とか言う人よりマシだけども」
日向は表情ひとつ変えずにそのまま説明しはじめた。
「まず第一、まあわかってると思うけど、ペストの言葉の意味は害虫よ。黒死病と関連しているからとか言う人もいるけど、実際なんの関係もない。ペストという言葉自体昔、私たちへの差別用語として昔から存在していた。
二つ目、ペストの能力は五つある。そして、ほとんどのペストは火山を噴火させたり、地震を起こすことはできない。多分そんなことできるペストは世界中を見ても片手で数えられるくらいにしかいない。
三つ目、ペストは生まれたころからペストということはない。私だって18歳までは普通の高校生だったから」
「⁈」
「私日本に住んでたの。でも七年前に襲撃されて、私が住んでいた街は全部、私ごと燃やされちゃった。気がついたときにはペストだった」
「……そんな、そんなことあるの?」
「あるよ、みんな知らないだけで。みんなは
「なんでわかるの?」
「髪の毛が金色だからよ」
「え?」
キャサリンは自分の髪の毛を見た。本当に金髪だった。自分の髪色は黒に近い茶色だったはずだ。
「なんで……」
「水の適応能力。目、髪色の色素が薄くなる代わりに、寒さを一切感じなくなる。ちょっと便利じゃない? まぁ、安保隊に狙われることになるけど」
そこで車が止まった。ぽつぽつとマンションが建っているところだ。
「さて、今からあなたは本当のペストというものがどんなのかすぐわかるよ」
日向はキャサリンの瞳をしっかり見つめて言った。
そのとき、そう遠くない距離で、銃声が聞こえた。
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