第110話 正義とは

「……私の父親はドイツ人で、昔私はドイツの安全保障隊の訓練兵だったんだけど、そのときに一人のペストに会ってね。当時の私より年下だったけれど、恐ろしい力を持っていた。彼はたった一人で、ドイツ安全保障隊第五班を皆殺しにしたんだよ」


「え……?」


「ああ。だが別にそこまでみんなは騒がなかった。たぶん知らないと思うけど、あの第五班は受刑者で構成されていたんだ。あのときのドイツは頭おかしかったよ。もちろんその班の治安はボロボロさ。それが全員殺された日、私はたまたま近くにいたんだ」


 虐殺者はセシルよりも背が低く、暗い冷たい青い目をしていた。レインコートを着ていてフードを被っていたため、顔はよく見えなかった。散々訓練していたはずのセシルは体が震えて動けず、反撃も何もできなかった。

 敵は血だらけのままセシルをちらっと見たが、すぐに目線を戻し口を開いた。


「怖がる必要はない。お前は殺さない」


 言われたことを一瞬理解できなかった青年は、「え……」と驚きの声を漏らした。相手は綺麗な発音の英語で、言葉を続けた。


「これは受刑者たちだろう。だが、お前はただの訓練兵だ。別に全員を殺す趣味は俺にはない」


「でもダメだよこんなこと……。虐殺は絶対にやっちゃいけない!」


 少年は叫んだ。


「へえ、虐殺はいけないだと?」


 ペストはセシルに反応し、一歩彼の方に近づいた。


「じゃあなんでお前らは俺たちを殺す? それは『虐殺』じゃないのか?」


 少年は言葉に詰まった。何も言えなかった。


「それにこいつらはお前たちを困らせていたんだろう? だから殺した。危険なスズメバチの巣を処理したのとなんも変わりがない。お前たちも似たような感じで、俺たちを殺しているんだろう?」


 黙っているセシルを、ペストの少年は鼻で笑った。 


「そういうことだ。全く……兵士には脳筋が多いな。この世には悪い、治安を乱す隊士とお前みたいな普通の隊士がいる。ペストも一緒だ。襲撃をするペストと、普通のペストがいる」


 彼の言葉に訓練兵は妙に納得してしまった。


「……君はどっち側なんだ?」


 思わずセシルが尋ねると、ペストの少年はにやっと笑った。


「襲撃側に近い。俺は別に一般人に手を出したりはしないが、こんなこと人殺しはしているからな。しかも正義のためというよりは腹いせだ」


「腹いせ……?」


「そうだ。正義なんて気持ちは一切ない。そもそもそんなものさえ本当は存在しない。あるのは立場の違いだけだ。人々は自分を正当化するためだけに、そんな言葉を使っている」


 そこでたくさんの足音が聞こえてきた。他の隊員たちだ。


「仲間が来たようだ。さよならだな」


 少年はレインコートを翻すようにして闇に消え、セシルは一人取り残された。




「というわけだ」


 セシルは話を締め括った。紫涵ズーハンは、第五班を殺したペストの言ったことを反芻していた。彼女の脳内に一つの言葉が響いた。


『俺は8歳のときからペストだけど、まだ一度も『人』を殺したことなんかない!全員が全員そうだと決めつけてんじゃねえよ!』


 怜があの日話してくれたことだった。セシルと話したペストと怜、どちらもペストには二種類のタイプがいると発言している。あのペストはもう人を殺してしまっていたが。


「結局、そのペストはどうなったの?」


「さあ。少なくともまだ捕まってはいないと思うね。あんなに強かったから」


 セシルはどこか遠くを見るような目をした。


「ま、いずれにしろそれ以来、ペストへの考え方が変わってしまったんだよ。だからシャーロットがとしても殺す必要はないと思った。だが、逆に私が気になるのは……」


 セシルは今度は威圧的に目を光らせながら、紫涵ズーハンを見つめた。


「君はどうやってペストへの考えを改めたのだ? ここに入隊していたときは全員殺そうという熱意いっぱいだったのに。だから私は君に安保隊がペストになるということを話したんだ。規律を破ってまでね。現実をちょっとでもわからせようとした。そしてもう一つ疑問がある。シャーロットはどうやってペストの能力を失った?」


 紫涵ズーハンは黙り込んでしまった。セシルは信用できる人物ではあったが、それでも言えなかった。日向や怜と約束したからである。

 だが青年はそれ以上追求しなかった。


「秘密なんだろう? それくらいわかるさ。それよりも早く寮に戻ったほうがいいんじゃないか? もう時間だろう?」


 時計を見た紫涵ズーハンは絶句した。


「ほんとだ! ありがとう、ブラウンさん!」


 彼女が出て行こうとしたその時であった。バチバチとした音が響いたかと思ったら、突然電球が次々に割れ、真っ暗となった。警報が鳴り始める。


「え?」


「ズー、そこを動くな!」


 セシルの声が響いた。何かが走ってくる音が聞こえた。紫涵ズーハンは慌ててスマホを出そうとしたが、その前に光り輝く雷のようなものを見た。


「うっ!」


 青年のくぐもった声と倒れた音が聞こえた。敵の足音はこちらに向かってくる。

 紫涵ズーハンは悲鳴を飲み込んで、慌ててガレージから飛び出した。十二号館の廊下はまだ明るく、少女は助けを求めようとしたが、次の瞬間にはまた電球が全て割れていた。


 紫涵ズーハンはなんとかトイレの個室に飛び込んで、息を潜めた。すぐに震える手で、スマホの連絡先を見る。そこで「妖精の家小仙子的房子」という箇所を押して電話した。


『はい、もしもし?』


 日向の優しい声が響いた。


「日向さん、助けて……基地で、ペストが……電気みたいな技を使うペストが……!」


『ペスト? 安保隊に?』


「そう……! お願い、早く来て……! あ___」


 突然電話が切れた。


「ズーちゃん? ズーちゃん?!」


 日向の慌てた声を聞いて、メンバーたちがわらわらと集まってきた。


「襲われたみたい……。助けに行くしかないね……!」


 班長は他の子供たちに言った。


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