雷の怒り

第109話 日々の中で

「はーい、終わり―」


 アーベルはにっこにこの笑顔で宣言した。彼の目の前には足を植物に掴まれて、さかさまになったヴィルがいた。


「そんな不満な顔しないでくれよ、ヴィリアミ」


 赤褐色の髪をした青年は目を細めて弟子を笑った。


「ったく……いつになったら負けてくれんだ? 師匠」


「師匠」という呼び名に、アーベルは懐かしそうな表情をした。そう呼ばれていたのはもうかなり昔のことだ。アーベルは二人の弟子を持っていた。一人は目の前にいる少年、もう一人は茶髪頭の大きな綺麗な目をした気の強い、頑固な少女だ。

 篠崎真莉……。

 彼女は一体どこにいるんだろうか……?




 三月の上旬のニューヨークは相変わらず寒かったが、キャサリンたちは変わらず日々を過ごした。

 ロサンゼルスのあの事件は「LAペスト大火災事件」として記録された。死者は十数人。偽風月ヴァントーズの爆発や、その他のペストたちの攻撃に巻き込まれた人たちだった。キャサリンはそれを聞いてむなしい気持ちになったが、一応神の僕クラスであろう相手にその被害は少ないほうであった。






『久しぶり、アイオロス。リーナだよ。ごめん。いきなり電話かけちゃって。ちょっと心配になって。先週ロサンゼルスでライブがあったはずよね?』


突然電話をかけてきた友達に対し、アイオロスは口角を上げる。彼は明るい声音で答えた。


「あれは実はライブ会場に不調があって、今週に移行されたんだ。だから大丈夫だよ。僕の歌で皆を元気づけられるといいな。ていうかあの事件って……本当にペストに関係あったのかな?」


『ほんとだよ! 「神の僕」の役職名を勝手に名乗っていた男が起こした事件なの! 翔とキャサリンがそこに行って、他の班と一緒に戦ったのよ! 二班も二人も無事でよかった。……亡くなった人もいるのに「よかった」で済ませちゃだめだけどね』


「『神の僕』を勝手に名乗る男?! 変な人もいるんだねぇ……。ちなみに名前はなんていうの?」


『確か風月ヴァントーズだったはずよ。「神の僕」じゃあその座だけ空いているんだって! なんででしょうね……?』


「……確かに不思議だね」


 アイオロスも悩んだ。




 日向はここ最近隠れ家の汚さに気がついたのか、掃除に熱心であった。


「みんなちゃんとベッドとか確認してる? 布団変えていてもベッド自体が汚かったら意味ないからね」


「はぁい」


 キャサリンは自分の部屋へ向かおうとして、途中で翔とぶつかってしまった。


「あ、ご、ごめん」


「い、いや、こっちこそよく見てなくて……ごめん……」


 そのまま二人は焦りながら、それぞれの場所へと向かった。それを怜は好奇の目で見つめた。


「あの二人なんかあったのかな」


「ふん、俺からすればやっとかって感じだ」


 本を読んでいたヴィルは、目も上げずにそう言った。


 キャサリンは自分の部屋へ着くと、自分のベッドのマットレス部分と布団を持ち上げ、その下の木材部分の掃除を始めた。少し埃が溜まっていたためか、くしゃみをしてしまう。ベッドと壁にはわずかな隙間があって、キャサリンがそっちも拭こうとしたとき、なにかが落ちていることに気がついた。


「ん?」


 それをそっと手に取ると、埃にまみれた小さなノートということがわかった。ぺらぺらとページをめくると、どうやら日記のようだった。


(誰のだろう……)


 アリシアやリーナが昔に書いたものだったら気まずくなるため、キャサリンは他の人が見ることのないように自身の鞄に入れておいた。





 安全保障隊本部では昼休みになり、紫涵ズーハンの班が食堂でご飯を食べていた。


「ねえ、聞いてよ。カリフォルニアの安保隊訓練兵にね、めっちゃ優秀な人いるんだって!」


「へえ、そうなんだ」


「そうなんだ、じゃないよ。メイソン! 私たちがそいつらを潰さなきゃ! 一番はこっちだって、見せつけてやるのよ!」


 鼻息を荒くして宣言した紫涵ズーハンを、メイソンとドロテオは生暖かい目で見つめた。


「そういや気づいたか?」


 そのまま他愛もない世間話をしていたとき、メイソンがふと口を開いた。


「なにが?」


「隊員たちがさぁ、めっちゃピリピリしてるの」


「ほんと? なにかあったの?」


 シャーロットの問いに、赤髪の少年は肩をすくめた。彼自身わかっていないようだった。紫涵ズーハンは黙ってその話を聞いていたが、訓練が終わったらとある隊員に話を聞こうと決心した。




 夕方、12号館と繋がったエアーバイク用のガレージで、自分のエアーバイクを点検していたゴーグル、ではなく今はメガネをつけた茶髪の青年は、誰かの足音を聞いた。顔を機械から上げると、小柄な少女が立っていた。


「おや、こんなところでどうしたんだい? お嬢さん」


紫涵ズーハンだよ。名前また忘れたの?」


 髪を団子にした少女はむっとした声をだした。


「覚えるの苦手なんだよ。で、なんか相談?」


 紫涵ズーハンはそばにあった小さな椅子に座った。彼女はシャーロットの事件があって以来、セシルに信頼を置いていて何かしらあるたびに話しにきていた。


「うん、うちの班員の一人が大人がピリピリしてるって言ってたから、なんかあったのかなーって」


「あー、それ」


 セシルは立ち上がって、頭を掻いた。


「もう訓練生まで勘付いているのか……。いや、実は何者かがエアーバイクが設置してある、つまりここのガレージのセンサーを壊したっていうかハッキングしたらしくてさ」


「え? それってだいぶヤバくない?」


「そうなんだけど、今新しいセンサー取り付けてるからすぐ復帰するだろうよ」


「だといいけど……」


 紫涵ズーハンはため息をついた。本部を攻撃されてからずっと思っていたが、どうやら安保隊の基地はそこまで頑丈じゃないようだ。

 ふと少女は前から不思議に思っていたことを、セシルに尋ねた。


「ねえ、そういえばさ……」


「ん?」


「なんであのとき、シャーロットを助けてくれたの?」


 青年は彼の明るい茶色の目を少女に向け、しばし沈黙した。


「……それはどういうことかな」


「……だってあんたが私に教えたでしょ。ペストになる隊員がいるって。その末路も」


 セシルは呆れた表情とともに舌打ちをした。


「ちっ。あんま喋んなきゃよかったな。他の誰にも言ってないよな?!」


「言ってないよ。メイソンを除いてね」


「パーカーのせがれかよ。怪しいな……」


「大丈夫、あの人馬鹿だけど、案外口は堅いから。で結局理由は? ペストのことについてどう思っているの?」


 セシルは少し悩むような顔をした。陰で目の色が黒に近くなった。その後出した彼の声は、いつもよりもずっと低かった。












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