【第二部 Never Ending Challenge】 ロサンゼルスにて

第84話 少しの回復

 襲撃から数か月たった。街はだんだんと回復してきた。人々の中でも立ち直り、ふたたび働き出す人が増えてきた。


 だが依然として、自分は何もできないでいた。それは自分の娘とその夫、初孫が事故で、自分の夫がその数年後、そして数か月前に大切にしていた最後の孫がペストによる攻撃で亡くなってしまったからだろうか。いや、正確に言えば、キャサリンに何があったかはわからない。まだ彼女の遺体は見つかっていないのだから。


 銀行の口座になぜかお金がたまっているという不思議なことも起こっているが、老婆が願うことはただ一つ。キャサリンが無事に帰ってくること。

 彼女の好きだった紅茶を仮設住宅で飲みながら、老婆はどんより曇った空を窓から見上げることしかできなかった。







 新年は賑やかに過ぎた。豪華な料理を食べた後、キャサリンたちはセントラルパークに行き、花火を見たのだった。いつも祖母とともに過ごしていたキャサリンにとって、これほど華やかな新年の祭りは初めてだった。

 安保隊のほうにも新年の休暇が与えられたが、家族がいなかった紫涵ズーハンは、シャーロットの家で過ごした。


 一月は特に大きな事件もなく過ぎ、二月になった。




 暗闇の中、緑色の瞳が光った。美しい目だ。世界中に存在する緑を一つにまとめたような目。それは光によって、青にも、茶にも、黒にも変わった。そんな不思議な綺麗な色の目をした人を、翔はよく知っていた。


 自分の姉だ。


 彼女はなぜか14歳のときの肉体になった自分を見下ろしていた。まるでどうしようもない弱者を見るような、冷たい目で見下ろしていた。

 なぜそんな目線を向けるのだろう……自分はなにかをしてしまったのか……?

 そこで姉が口を開いた。低い、暗い、目線と同じくらい冷たい口調だった。


『お前には失望したよ』


 ひゅっと翔は息を呑んだ。呼吸ができなくなった。


『私がいなくなってから、怜を守れるのはお前だけだった。私はお前がちゃんと自覚をもって強くなってくれると思っていた。だが実際はどうだ?』


 緑色の目が不気味に光る。


『昔からそうだっただろう。能力バランスの良い私、火力が武器の怜。お前にはなにもなかった。ずっとな。そして今もなにもないままだ。長男のくせに……』


 叱責は続く。


『いっつもぐずぐずぐずぐずしやがって……いつになったらお前は大人になるんだ! 見ろ! お前が弱いせいで皆が死んだんだぞ!』


 姉の向けた指の先を向くと、血の海が広がっていた。浮いているのは死体だった。三班の仲間たちの体だった。冷たくなった怜が、翔の目の前に流れてきた。翔は叫びたかったが、どうしてか声がでなかった。

 少し離れたところに、キャサリンがうつぶせで動かなくなっているのが見えた。



 翔は飛び起きた。汗をびっしょりかいていて、呼吸が荒くなっていた。最悪な夢を見てしまった。慌てて辺りを見回したが、怜もヴィルもクリシュナも自分のベッドで寝ていた。ふぅ……と少年はため息をついた。


 姉はそんなこと言わない。そんな人じゃない。翔はそれを理解していた。おそらくあれは彼の良心が作った幻であった。

 しかし、それは翔が自分が弱いと自覚している一番の証拠であった。少年は絶望して、膝に自分の顔をうずめた。



 次の朝、三班にアイオロスが遊びに来た。


「アイオロスー!!! 久しぶりー!!!」


 リーナは彼に飛び込もうとしたが、ふと彼の目が見えないことを思い出し、立ち止まった。


「久しぶり、リーナ」


 アイオロスは手を差し出す。それをリーナは握り返した。


「いらっしゃい、アイオロスくん。社長が連絡してきたときはびっくりしたよ。パパラッチは大丈夫なの?」


「変装してきたから大丈夫です。社長に車貸してもらったし」


 日向が心配そうにきいたが、アイオロスはグーサインで返した。


「で、ここに来た理由は?」


 疑わし気な目をして尋ねたヴィルを、アリシアは小突いた。アイオロスは口角を上げて答える。


「ちょっと遊びたくなって……。僕って同年代の友達が少ないんだよね、君たちが僕にとって初めての友達だよ」


 人間がペストである自分たちのことを「友達」と呼んでくれた事実に、リーナたちの顔に笑みが浮かぶ。

 その晩、アイオロスと仲間たちは楽しくすごした。映画を皆で見たり、その場で作曲をして披露したりだった。馬鹿馬鹿しいことも結構したが、いつもハードスケジュールで生活している彼は、初めて「普通の生活」が送れたのだった。


「やっぱり……危険だから、死ぬこともあるんだ……」


 三班の歴史を聞いたアイオロスは小さく震えた。


「行方不明になった姉の情報はそれ以来ないの?」


 怜は少し間をおいてから答えた。


「ちょっと離れた薬局で、なにか『戦闘』があったらしいんだけど、死体もなにもでなかったんだ。で、最近出た情報は……どうやら『神の僕』と関連しているってこと」


「『神の僕』……? それって都市伝説じゃ……」


 アイオロスは驚きで目を見開いた。


「いや、違う。奴らは本当に存在する。実際にキャサリンが戦ったのだ」


 翔がぼそぼそと説明したところを、キャサリンはアイオロスに向かって頷くことでそれを肯定した。


「そうなんだ……。じゃあ、今までいろんな国を攻撃したのも『神の僕』の仕業なの?」


「それはまだわからない」


「でも実際どうなんだろうね、霧月ブリュメールは私たちの味方だったし……」


 リーナは小さな声でぶつぶつと呟いたが、それをアイオロスは逃さなかった。


霧月ブリュメール? 霧月ブリュメールが味方ってどういうこと?」


「いろいろあったのよ」


 リーナは翔の誘拐事件でなにがあったのかを語った。


「へえ……、そんなことがあったんだね……。でも、実際『神の僕』が味方っていうか、手を差し伸べてきたら、その人たちと協力する?」


「……しない」


 キャサリンは答えた。


霧月ブリュメールが味方だったとしても、葡萄月ヴァンデミエールがオクサーナの妹を洗脳した事実は変わらない。それに、もし本当にイギリス襲撃があの人たちによって起こされたものだったら、私は許すつもりはない」


 少女はきっぱりと言った。彼女の目が青く輝いた。


「……なるほどね」


 アイオロスは頷いた。結局キャサリンたちもペストによる被害者なのだ。

 重々しい話はこれくらいだった。アイオロスはその後、数日後に公開するはずの新曲を特別に披露し、その日泊ってから早朝に帰っていった。


「キャサリン、翔、話があるの」


 次の日、日向は突然二人を呼び出した。


「新しい任務よ。二班に水の能力をもった助っ人が欲しいんですって。ロサンゼルスに行ってほしいの」


 二人は困惑して、顔を見合わせた。




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