第83話 蝶が飛ぶとき
冬の間、ヴィルは老人の家に居座った。数日泊ったあと、またふらっとでかけることが多かった。
「いいか、ガキ。ジジババどもの全員が全員優しいわけじゃないからな。変な奴もいるからちゃんと警戒しろ」
老人は口癖のように、よくこう発言した。
「他の奴らが全員ろくでもないのなんて知ってるよ」
ヴィルは不機嫌になって、ぶっきらぼうに返した。これは老人の親心から来たものであったが、まともに教育されてこなかったヴィルには少し鬱陶しく感じた。
老人はあまり多くを語らなかったが、彼の奥さんである「婆さん」は去年に亡くなっていて、一人息子はヨーロッパへ行ってしまったということをヴィルは知っていた。
長い冬は過ぎ、ふたたび夏がやってきた。さすがに寒い時期よりは、彼の家に滞在することは少なくなったが、それでもヴィルはたまにちょっくら顔を出していた。平和で特になにもなく、ヴィルはもしかしたら一生こんな暮らしをつづけるかもなと思っていた。だが、永遠に続くものなど、存在しない。
七月に、あの爺さんが倒れた。酒を飲みすぎたせいかもしれないし、煙草を吸っていたからかもしれない。ヴィルは老人を見つけてすぐ救急車を呼んだが、駄目だった。老人は死んでしまった。ヴィルは医者にそう告げられ、茫然とした。病院がヨーロッパにいる息子に父親の死について連絡したとき、ヴィルは自分の居場所がなくなったことを知った。少年は姿を消した。
また放浪生活を送ることになったが、温かい家や布団などの存在を知った後では、それがより辛く感じた。
なんとか隠れられる場所を見つけ、そこでどこかで拾ってきたボロボロの毛布をまとって寝た。
だが、冬が来ると食糧難が来た。ヴィルは数回店から盗んだことはあったが、やはりリスクが大きすぎてあまりやる気にならなかった。捕まったら終わりだ。それを少年は理解していた。爺さんの食事が恋しかった。
雪にまみれながらうとうとしていたある日、一人の背の高い女がやってきた。真っ暗な闇に浮き上がる白い目は、不気味に見えた。
大人の女性に苦手意識があったヴィルは、どこかへ行ってほしいと願った。だが、女はそのままヴィルに近づいてくる。
駄目だ……
少年はなんとか立ち上がって逃げようとした。女は手を動かした。雪からずぼっと生えてきたのは一本の蔓。あっという間にヴィルはとらえられてしまった。
「何しやがるッ!」
ヴィルは叫んだが、女は首を傾げただけだった。フィンランド語がわからないようだ。女は手を伸ばし、ヴィルの腕を掴んだ。景色が歪んだ。
気が付いた時には、自分は赤茶色の壁に囲まれた裏路地にいた。マダーは黙って、ヴィルの手を引いたまま、隠れ家に向かった。
少年は抵抗できなかった。女が自分と同族のペストであること、彼女からなんともいえない圧があることが原因だった。
隠れ家には数人の子供がいた。ペストが殺されるようになった2002年以来、フロスト社と連携したマダーが集めてきた子たちである。中にはヤコブやアイザックの姿もあった。いずれもフィンランド語は話せなかったが、ヴィルは少しずつ英語を学んでいった。
2016年になると、ヨーロッパでペストの襲撃が起こった。マダーは自分よりも年下の少女を連れてきた。音楽が大好きな少女だ。歌って踊ってばかりだった。
2017年には新たに5人がメンバーに加わった。日向と明、真莉、翔、怜である。最初日向を警戒していたヴィルだったが、彼女はヴィルを本当の弟のように扱った。翔と怜は少年にとって、小さな子分みたいだった。
真莉は自分と同じ能力を持っていた。頑固な少女だった。二人はよく一緒に訓練した。最初は経験豊富なヴィルが勝っていたが、真莉が勝利することも多くなっていった。
一年後にアーベルが来た。いつもどこか空っぽな表情をしていた。能力が一つしかないのに、やけに強かった。アーベルは真莉とヴィルの師匠となった。にこにこしながらいつも戦うくせに、いつも彼は勝っていた。
数年がたった。仲間が増えたり減ったりした。昔は人間なんて信じる価値はないと思っていたのに、気が付いたら仲間が消えるたびにひどく心が痛むようになってしまった。世の中は相変わらず冷たくて醜かったが、仲間と、家で食べるスープ、用意された布団はいつも温かかった。
ここは自分の唯一の居場所だ。ヴィリアミは認めた。そして、ここにいる人は大切な仲間だ。それは普段、簡単に口には出せない気持ちではあるけれど、そう思っているのは事実ではあった。
雪が降るたびに、ヴィリアミは自分の過去を思い出す。そして二度と、あんな生活はしたくないと思うのだ。
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