第21話 自分を知り、敵を知る

「あ……」


 怜は唾を飲み込み、そのまま黙った。何を言えばいいだろうか。謝罪?なんの?部屋に勝手に入ったことの?それともりんごを触ったことの?でも、そんなことより早く逃げなきゃ。


「えっと……」


「あなたがそれ、持ってきてくれたの?」


 少女は少年の焦った姿に気がつかず、そのまま話を続ける。怜は彼女の指がりんごのかごを指さしていることに気づく。


「え……えっと……まあ……」


 怜は自分が持ってきたということにした。キャサリンを危険にさらすわけにはいかないからだ。


「やっぱり? ありがとう! もしかして私を助けてくれた人? 前目が覚めたとき、お医者さんが私を外まで出してくれた人がいるって言ってたんだ」


「え……あ……」


 まずい、話が変な方向に進んでいる。ていうかヤコブは一体何を話しているんだ。何か言い訳を見つけていかないと…。


「あなた東洋人だよね? 」


「え……うん、まあ」


 いきなり言われて、少年は戸惑いながらも答えた。


「やっぱりー! 私もそうなの! ねえ、もし時間があったらなんだけど、少しここで話さない? 私、ベッドから出れなくて暇なんだよね」


 なんで俺が安保隊と話さなければならないのだ?怜はむっとした表情で、その頼みを拒もうとした。そのこわばった顔を見て、察したのか紫涵ズーハンは慌てて言葉を加えた。


「ああ、忙しいなら全然いいの! ただ私の友達はちょうど訓練最中だし、親は……いないから……話し相手がいなくてちょっと寂しいと思っただけで……」


 諦めた笑みを浮かべながら、少女は言った。怜はそんな彼女を見て、少しかわいそうに思った。『敵を知り己を知れば百戦危うからず』ほんの小さいときに、父に教えられた言葉が蘇る。安保隊を知るのも大切なことだ。これは、調査だ。


「いいよ」


 訓練兵の申し出を、ペストの少年は明るい笑顔を作って承諾する。紫涵ズーハンの目は喜びで輝いた。








 キャサリン、アイザック、ヤコブの三人は、病院の地下室に移動した。頑丈な扉に特別なパスコードを入力し開ける。部屋の中にはたくさんのパソコンや顕微鏡、ビーカー、スポイト、よくわからない薬品などがあり、いかにも研究室らしい風景であった。奥の方で何やらガチャガチャという音がしたので、不思議に思ったキャサリンがそっちをのぞくとクリシュナ・シャルマが試験管をいじりながら何かをやっていた。


「クリシュナ?!」


「お、キャサリンじゃん」


「シャルマはよくここに来る。研究を進めるためにな」


 ヤコブはそう言いながら椅子を出し、キャサリンを座らせた。


「さて、始めようか、キャサリンさん。まずはペストの歴史についてだな。今年は何年だい?」


「2023年です」


「そうだね、じゃあペストが危険視されはじめたのはいつ?」


 少女は少し考えた。対ペスト安全対策法が執行された2002年か? いや、もっと前だ。もう親の代から始まっていたような……


「1980年代とか……?」


 ヤコブとアイザックはその答えに顔を見合わせ、ふっと苦笑いを浮かべた。


「いいや、違うさ。そのころはまだそんな考えなどなかった。それどころかいかにペストを効果的に使うか、国家間で競争していたんだよ」


「ペストと人間は完全に共存できていた。少し特別な人たちとしか認識されていなかったのだ」


 キャサリンは目を見開いた。ペストが人々の間で普通に暮らしている時代が昔あったとは聞いたことがあった。だがそこまで最近の出来事であったとは、まったく予想していなかったのである。


「僕たちの能力は軍に最適だった。冷戦時代でもペスト軍隊アピールは、アメリカとソ連、両方ともよくやっていた。僕たちは差別されるどころか、国を代表する戦力として重宝されていたんだよ」


「だが、その認識は90年代から変わり始めた」


 ヤコブが低い声で言った。


「その時代はテロが異様に多かった。そのうち何件かはペストが起こしたものだった。そこで人々は考え始めた。ペストが危険なのではないかと」


「最初は少数だったその考えはどんどん広がった。そして2002年に国連が対ペスト安全対策法を施行し、先進国のほとんどが批准した。国が、合法的に人を殺せるようになったんだ」


「なんで……そんな急に認識が変わるのですか?誰かがそうするように仕向けたのですか?」


「俺たちも同じ疑問をもった」


 ヤコブの灰色の目がキャサリンの目を射る。


「正確にはわからないが……おそらくこの一連の流れにはアメリカ政府が関連している」

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