第20話 きっかけ

「……」


 沈黙が走った。


「こいつ、安保隊かよー」


 怜はうんざりして、床に座り込んだ。


「そのまま炎の中で放置してりゃよかった」


「怜!?」


 キャサリンは驚いた。発言が彼にしては残酷すぎたのだ。


「これじゃあヤコブが助けるかどうかもわかんねえな」


「見つけたか?」


 そこで、噂をすれば影、とでも言うように、ヤコブ本人が登場。キャサリンは無言のままカードを渡した。


「……」


 彼はそれを見て一瞬止まった。


「安保隊……か……」


 彼はため息をついて呟いた。


「だが医者は患者を選ぶことはできない。このまま治療する」


 ヤコブは彼女のカードとその他諸々の荷物を持って部屋を出た。キャサリンと怜は無言のまま、帰路に着く。


「キャサリン、お前、他の班員、特に日向にあいつが安保隊だったって言うなよ」


「え? なんで?」


「絶対嫌な顔をする。そもそも俺たちの班員の一人が安保隊に殺されている。その人は……日向の婚約者だった」


「えっ……そんな……」


「俺にとっても兄ちゃんみたいな人だった。どうせわかりあえない。だから安保隊とはできるだけ関わらないほうがいい。お前も距離を保っとけ」


 怜はきつく言い放った。




 しかし次の日、キャサリンは普通に病院へ行き、紫涵ズーハンの病室にりんごを置いた。彼女はスースー寝息をたてて眠っていた。ペストの少女はその様子を見て安堵した。

 正直に言うと、キャサリンは安保隊をあまり憎んではいなかった。それどころか、他のペストが安保隊を批判するとき、むず痒い思いをしていた。なにせ自分が数週間前、安保隊と全く同じ考えを持っていたのだから。それに彼らの多くはペストに家族を殺されている。ペストのことを憎むのは当たり前じゃないか?


(ペストと安保隊……共存できないのかな……)


 ふと、霧月ブリュメールがボコボコに潰したペスト競売の開催者の言葉を思い出す。


「劣ったものは必ず優れた者を妬む。人間がペストを認めることはないのだ」


 少女は考え続ける。じゃあ自分がおばあちゃんと会うことはもう二度とないのか?彼女は人間。自分はペスト。祖母は認めてくれるのか?怪物のような能力をもった自分を。


 ネガティブな思考を追い払うために、彼女は一旦外へ出た。そこにはヤコブと同じく白衣を着た黒人の男(おそらく仕事仲間だろう)が窓際に立っていた。

 ヤコブはぼんやりと窓から手を伸ばしていた。外には蝶が一匹ひらひらと舞っている。おそらくヤコブは、その虫に指に止まってほしいのだろう。だが昆虫はそんな願いを聞き取れるはずもない。


「ノスタルジーにでも浸っているのかい」


 黒人が缶コーヒーを飲みながら話しかける。


「君が能力を失ってからもう随分立っただろう」


「はあ…」


 ヤコブは諦めたのか、手を下ろす。


「能力がないと随分つまらないものだな……」


 彼は呟いた。そこでキャサリンの姿に気がつく。


「そこで何やってるんだ、メルカド・ウィルソン」


「おや、3班のとこかい?」


 黒人の青年がヤコブに尋ねる。


「そうだ」


「なるほどね。こんにちは、僕はアイザック・ジョンソン。ヤコブの同僚さ」


「キャサリン・メルカド・ウィルソンです」


 二人は握手した。


「お母さんがスペイン人?」


「お父さんのほうです。お母さんはイギリス人です。あの……」


 キャサリンは恐る恐る彼らに尋ねる。


「能力が消えるってどういうことですか……?」


 医者たちは顔を見合わせた。


「紅井は班員の教育をサボっているようだな」


「まあ最近忙しいからね。とりあえず、キャサリンさん。僕らはペストの研究をもう長くやっている。今ちょうど休憩時間だから、僕たちの考察を少し聞いていくかい?」


「もちろんです!」


 少女の目は輝いた。




「キャサリン、あいつ!」


 一方その頃、怜は病院への道を走っていた。家にキャサリンがいないことに気がついた彼は、彼女の性格から安保隊員に会いに行ったことを予測し、それを阻止するために走っていたのだ。脳裏にあきらの死顔が浮かぶ。


 清原きよはらあきら。享年21歳。日向の婚約者、そして怜、翔、真莉にとって兄または父のようだった人。彼は他のペストとの戦闘に巻き込まれ、騒ぎを聞きつけやってきた安保隊に頭部を撃たれ亡くなった。


 朱紫涵スー・ズーハンの病室は個室であった。怜は静かにそこに滑り込む。


 訓練兵はまだ寝ていた。怜はキャサリンが来ていなさそうなことを確認し、安堵のため息をついた。が、テーブルの上に、りんごが入ったかごが置かれているのを見つけた。


「何やってんだあいつ……」


 彼はその赤い果物のうちの一つを手に取り、顔をわずかにしかめた。そのとき、声が耳に入った。


「ねえ、なにしてんの?」


 安保隊の少女がいつの間にか起き上がっていて、その黒い瞳でじっと怜を見つめていた。

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