第171話 本性

 勝負が始まって30分。大男は顔を真っ赤にし、プルプル震えながら小さなコップの中の液体を飲みほした。だがやはり、それが限界だったのか、その直後机の上に倒れてしまった。

 周りで歓声と落胆の声が同時にあがった。だが、一番喜んだのは、デルマー本人である。


「やった!!!」


 彼は嬉しそうに机の上に飛び乗り、自分の勝利を宣言した。


「見ただろ、カメリア! やはり俺は強いのだ!」


 真莉はそんな状態の青年を見たことはなく、困惑してぽかんと口を開けていた。デルマーの顔はほんのり染まり、目はキラキラしている。完全に酔っぱらっているのだ。


「デルマー……」


 少女は上司に話しかけようとするが、その前に彼は壁にかかったギターを見つける。


「おい、旦那! これ使ってもいいか?」


 ヒューゴのそばにいたマスターは英語がわからず「ああ?」と聞き返した。


「ギター貸してほしいんだってさ」


 代わりにヒューゴが通訳する。


「おう、いいぞ」


 マスターが頷いたのを見て、デルマーはそっとそれを取る。首にストラップをかけ、少しチューニングをした。客は興味を持ったのか、ぞろぞろと集まってくる。

 音程を調整し終えた青年は、じゃーんと楽器を鳴らした。


 そして、美しいテノールの声で歌い始めたのは、スペイン語の歌。洞窟に隠れ住む怪物が、街に住む美しい少女に恋をするという内容だ。歌詞は物悲しいが、曲はそれでも軽いステップを取れるくらいのリズミカルなものとなっている。


 Te amo Te amo Te amo

 愛している、愛している、愛しているよ

 Pero no puedo mirar tus hermosos ojos

 でも僕は君の美しい目を見ることなんかできない

 porque soy un monstruo

 僕は怪物だから


 他の観客は踊りだしたが、真莉は彼から目を離せずに、ただその様子を見つめていた。彼女は驚いていたと同時に、どこか感動もしていた。

 目の前の彼は、今までの厳格で冷静な霧月ブリュメールではなく、ただただ歌を楽しんでいた青年だった。


 ____これがデルマー・ゴメスか。これが彼の真の姿なのか。


 動けないまま、デルマーの歌は終わり、拍手が店内を響く。彼はにっこり笑って一礼し、ギータを元の場所に戻した。

 青年はそれから真莉の目線に気がつき、彼女の目の前まで近づく。周囲の歓声の中、静まり返る二人。美しい深青色と緑色の目がぶつかる。

 しばらくそのままの状態で時間は流れていったが、真莉は次第にぎこちなく感じてきてなにかを言おうと口を開いた。


 しかし、それは他の酔っぱらった客によって妨害される。


「音楽を流せ! 全員踊るぞ!」


 スピーカーから流れだしたのは……ポルトガル語の曲。真莉はその歌を知っていた。マルティナがたまに歌っていて、彼女にも歌詞を教えてくれたのだ。今回はその原曲ではなく、EDM風にリミックスしたものだったが、それにより観客たちはますます盛り上がり踊り始める。

 大量の人たちによるダンスに巻き込まれた真莉は、押し付けられつぶれそうになった。


「ね、ちょっ……!」


 そこでデルマーにくいっと腕を引かれ、二人の体が密着した。身長差的に真莉の頬の部分にデルマーの胸部全体が当たり、彼の心臓の音が伝わってきた。


(速い……、相当酔っぱらっているのね)


 真莉の言う通り酒の影響か、デルマーはふたたび曲に合わせて歌い始める。この曲はポルトガル語だが、スペイン語を話すデルマーなら問題なく歌えるのだろう。

 彼の良い声(真莉の感想)が耳の近くで聞こえているものだから、少女はますます体を強張らせてしまった。青年はその様子を気にすることもなく、ゆっくりと踊り始める。


 真莉はその隙に体を離そうとするが、結局両手だけは、デルマーの手の中に残ったままだった。困惑した彼女だったが、デルマーはにこりと笑い、そのまま動き、相手をそれに引き込んだ。


「はぁ」


 少女は小さくため息をつき、それから微かに口角をあげた。


「まったくしょうがないですね」


 彼女は観念し、彼と踊ることを決めた。ますますステップが激しくなるが、二人はなぜか息が合っていて、足を踏むこともなかった。

 クライマックスで歌の女性パートに変わった時、カメリアは初めて歌った。


 彼女は決して歌が下手なわけではなかった。三班ではリーナの次にうまかった。彼女とデュエットもした。

 しかし、デルマーにとっては衝撃なことだったのか、彼はしばし動きを止めた。


「上手いな」


 彼は呟いた。


「知らなかったの?」


「いつも歌わないじゃないか」


「『カメリア』は自分の歌の才能を忘れていたみたいで」


 そう言って真莉はふふっと笑った。


 宴はそのまま続いた。

 次の日、霧月ブリュメールを無事二日酔いが襲った。










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