第170話 夜の宴

「ちっ、道理でアメリカ英語をべらべら話すと思った」


 真莉がアメリカ育ちであることが判明したとき、霧月ブリュメールは渋い顔をした。


「なんでそんな不機嫌な顔するんだよ……。私がまだだったころもずっと発音うるさかったし、本当にスペイン人なんです?」


 ふてくされた少女は言い返すと、デルマーはなんでもないように言った。


「俺はイギリス生まれだ」


「えっ」


 真莉は衝撃の事実に思わずヒューゴを振り返るが、彼は頷くことでそれを肯定しただけだった。

 少女はもっと聞きたげな表情を浮かべるが、霧月ブリュメールはそっぽを向き、話題をもとに戻す。


「ま、お前が紅茶好きだったのは幸いだがな」


「私の母は紅茶を好んで飲んでいた。ただの遺伝だよ」


「それで、お前はそのフェアリー団とやらで4年間暮らしてきたってわけか?」


「そうだ、そこには私の二人の弟たちや、育て親、師匠、弟子、友達がいる。彼らは私を待っているはずだ……」


 そこで真莉は目を伏せる。緑色の目はさらに深い色となった。


「だけど、デルマーの言う通りだ。戻ることはできない。状況を悪化させてしまう」


 ふたたび少女の髪の色が白くなっていった。真莉が手のひらを開くと、小さな氷の結晶が生み出される。


「私の水の能力は悲しみと呼応する。だから両親の死を思い出す前は使えなかったんだ」


「そうなのか」


 そこで急にヒューゴが立ち上がる。


「そろそろ仕事の時間なので、俺は行ってくるよ」


「仕事?」


「ああ、占いさ。バーで毎晩やるんだよ。君たちもついてくるかい?」


 疲労よりも興味が勝ったのか、結局二人は行くことになった。





 がやがやと聞こえる様々な話声、集まってきたいろんな人々。ロシアでは酒はみんなを仲良くさせるものだ。身分も、環境の壁も、全部破壊してくれる。


「ヴコール!」


 タバコの匂いをまとわせた中年の男が、すぐさまヒューゴに近づき、彼の肩を叩いた。


「どうも、どうも。今日も来たよ。マスターは?」


「あっちだ!」



 柑子色の髪をした青年は、カウンターのほうへ行き、ふくよかな男性に話しかける。


「今日もよろしくお願いします、レフさん」


「ああ、もちろんだよ。後ろにいるのは?」


「俺の友達です。仲良くしてやってください」


 ヒューゴは突っ立っていた二人を顎で示し、言う。


「おう! 外国人か?」


「ええ、スペイン人と日本人ですよ」


「お母さんはロシア人ですけどね!」


 真莉が口をはさむ。本当は母親の血筋はもっと複雑なものだが、多様な民族が暮らすこの国ではその人物がロシア語を話す時点で、ロシア人と認めてくれる。

 だから、アクセントがない綺麗なロシア語を話す真莉も、当然ロシア人として迎えられるのだ。


 ヒューゴはその後、他の人にも少し挨拶してから、カウンター席の一つに座りトランプなどを取り出す。すると自然に客が集まり、占いが始まった。

 一方、真莉とデルマーは二人用の席にちょこんと座り、ヒューゴの動きを見守っていた。


 そこで突然、酒で緩んだ空気の中で、瓶を持った男が二人にだる絡みしてくる。


「よぉ、兄ちゃん。なにを座ってんだい? ウォッカでも飲もうじゃないか」


 デルマーは彼の言った言葉が理解できず、真莉に目線を向けた。少女はため息をつき、低い声で告げる。


「彼はロシア人じゃない。ウォッカを飲ませようとするな」


「人種なんてどぉでもいいんだよぉ。お前らも外国人がどういう反応するか知りたいだろう?」


 男が振り返ると、彼の仲間であろう者たちが手をぱらぱらと上げた。


「勝負だ、兄ちゃん! おめえが何人かは知らんが、負けるつもりはないぜぇ?」


「スペイン人だ。頼むからそれは止めてくれ……」


 少女が苛立っていることを察し、霧月ブリュメールはなにが起きているのかを尋ねる。


「どっちがウォッカを多く飲めるかの勝負をしかけようとしている。まったく、本当に困った奴らだ」


「ほう……、面白そうじゃないか。ぜひやってみたい」


「は?!」


 馬鹿らしい勝負だと彼らを一蹴するだろうと思った真莉だったが、まったく逆のことを言った上司にひどく驚く。


「何言ってるの?! もちろんダメよ! 急性アルコール中毒になってしまうかもしれないじゃないか!」


「カメリ___真莉。さては私を舐めているな。ヨーロッパ人は酒飲みだ。私だって当然飲める。このベロベロ野郎に負けるわけにはいかないんだよ」


Pero, Delmarでも、デルマー……」


No te preocupes心配するな, senoritaお嬢さん。そう簡単にはやられないさ」


 霧月ブリュメールは男のほうを向き、にやりと笑うことで参加を表明する。ちなみに、スペインでもイギリスでも酒は18歳から飲めるので、19歳の彼が飲んでもなんの問題もない。

 男の仲間の中でも巨大な者が、真莉を押しのけ椅子に座り、ドンと二つの小さなカップを置いた。


「やるぞ」


 心配そうに見つめる少女の前で、勝負は始まった_____





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