第172話 約束

 翌日、「神の僕」に追われているということを知ったヒューゴは、その日のうちに別の町に移動することを決めた。


「といってもどこにしようか……、大都市に行くか、田舎に行くか」


 彼はちらっと霧月ブリュメールのほうを向いたが、デルマーは二日酔いの頭痛でうめき声をあげているだけだった。


「……薬買ってこようか?」


 見かねた真莉が言う。


「飲み比べなんかするんじゃなかった……」


 青年は彼女の提案を無視し、ぶつぶつと後悔を呟く。


「だからやめとけって言ったじゃない」


 少女はため息をついた。ヒューゴはやつれているデルマーが面白かったのか、くっくっくっと低い笑い声を立てた。


「で、大都市に行くか、田舎に行くかっていう問題だっけ?」


 真莉は話の内容をもとに戻す。


「そうだね、まずは大都市でいいんじゃない? モスクワにでも行ってお金稼いでからシベリアで放浪するとか。やっぱり資金ないとそう簡単に移動できないでしょ」


「まあ、そうだね」


「あと純粋に私もモスクワに行ってみたい……っていうか……」


 デルマーとヒューゴは真莉のほうを見つめた。


「父と母が出会ったのはあの町なんだ。わがままではあるってわかっているんだけど……少し見てみたい」


 少女は遠慮がちに目を伏せて言う。デルマーはふっと笑った。


「いいだろう。熱月テルミドールには二週間の休暇をもらってある。少しは旅行を楽しんでもいいのではないか?」


 だが、次の瞬間、また痛みが襲ったのか、呻いてベッドに突っ伏してしまった。


「ありがとう……」


 真莉はふわりと微笑んだ。


「どういたしまして……、だが……薬は買ってきてくれ……」


「はぁい」


 その後、ヒューゴは老婆にお礼を言い、息子がモスクワにいるというので、彼に母について話すことを約束した。

 三人はサザンカの力で一日でモスクワに着いた。


「あんたの羽って水の能力者と一緒なんだ」


 ヒューゴの少し橙色に染まったカゲロウ型の羽を見たとき、真莉は驚いて言った。


「そういえばそうだな。でも水の能力はまったく持っていないぞ」


「母親が水の能力者持ちだったんじゃないか? ただ幻影が第一能力になって、もはや羽だけにその名残が残っているとか」


「そうかもしれないな」


 柑子色の髪の青年は頷いた。


 ヒューゴはその後、金を稼ぐために、霧月ブリュメールと真莉のグループと別れることになった。


「助けてくれてありがとう。これからも情報提供よろしく頼むよ」


 ウインクした彼に、少女は少し笑った。


「こっちこそだよ、ヒューゴ。あんたのおかげで記憶を取り戻すことができた」


「君のフェアリー団とやらは魅力的な集団だと思うね。俺もそこに参加できればなぁ」


 真莉が語った過去を思い出しながら、彼はうらやましそうに言う。


「……」


 少女は少し考え込んで、視線をあちこちに移動させた。


「……そうだな。その機会は君にないわけじゃないと思う」


「え?」


 真莉は息を吐き、大きな目でヒューゴを見上げる。周りの人の声が一瞬遠くなったような気がした。


「私には、オクサーナという名のロシア人の親友がいる。彼女の妹は、彼女がペストになった4年前から『意思』がない。オクサーナは私に、オレンジ色の髪の毛をした男がその呪いをかけたのだと言っていた。もしかしたら奴は葡萄月ヴァンデミエールだったのかもしれない……。私がいつ彼女と接触できるのかはわからないが」


 少女はそこでちらっと自分の上司を見た。


「いずれ彼女とあんたを合わせたいと思っている。そのときには彼女を受け入れて、妹を治してほしい。オクサーナならば頼み込めば、あんたをフェアリー団に連れてくることができると思う」


「なるほど、わかった。忘れてなければ、そうする」


「おい……」



 霧月ブリュメールもヒューゴの安全を祈り、そこで道は別れた。ヒューゴはまず、ヴォルゴグラードのお婆さんの息子を探しに行くと言った。


 残り数日間、デルマーと真莉はモスクワを観光した。真莉は自分の母親の少ししかない記憶を頼りに、母と父が初めてあった場所や、彼女の大学を見て回った。

 モスクワは綺麗な町だった。赤の広場や教会など歴史的建造物がたくさん詰まった町だった。真莉の親が出会った90年代とは違い、安全でもあった。


 ぺらぺらと彼女の親の話をする少女を、霧月ブリュメールはただ静かに聞いていた。その話は、同じく国際結婚だった彼の親ともどこか通じるところがあった。











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