第66話 ペストの呪い
病院へついた十数分後、イリーナは目を覚ました。
「ママは?」
一言目にこう言われた。予想はついていたことだった。オクサーナは少し黙った。あの爆発と瓦礫で人間は生き残るのだろうか。あの家には他の人も住んでいた。みんな大丈夫だろうか。いや、大丈夫であってほしい。自分が生き残ったんだ。彼らだってきっと……。
夜中になっても父親は来なかった。隊員の一人が駆け込んでくる。イリーナは疲れたのかもう寝ていたが、オクサーナはまだ起きていた。彼女はベッドのなかで聞き耳を立てる。
「いや、かなりひどい」
隊員は看護師のおばさんに言う。
「あの子たちには見せられない状態だな」
まさか……。母親のこと? オクサーナはひゅっと息を呑んだ。
「結構な数が死んでいる。ひどい事故だ……」
「じゃああの子たちはやっぱり……」
「ああ、そうだ。現場で明らかに『作られた』氷が見つかった。外傷もない。父親が下で会いたがっていたが、なにが起こるかわからないんで入れなかった。今のところ、看護師たちに被害はないか?」
「ええ、大丈夫。軍部に連絡したほうがいい?」
「いや、こちらでする」
そのまま隊員は廊下へ出ていった。何が起きているのかよくわからなかった。じりじりと不安が心を焼きつけてくる。
結局その日は少し眠れはしたが、ほとんどは起きたまま夜を過ごした。
朝は看護師にたたき起こされた。そのまま下に連れていかれると、下には大きな緑色の車と緑色の服を着た軍人が待っていた。
「な、なに?」
「あんたたちはこれから軍人になるんだよ」
看護師は説明した。
「軍人? なんで? 嫌だ! お父さんは?」
騒ぎ始めた二人に、看護師は気まずそうに目線をそらす。
「しょうがないのよ。国家の方針だから」
「ほら、行こうか」
軍人が手袋に包まれた手を差し出す。オクサーナは怖くなって、逃げたくなった。
「どうして……?」
彼女はそれしか言えなかった。
「理解していないのか」
そこで軍人はオクサーナとイリーナの手を取ると、アスファルトの地面にたたきつけた。痛みを感じ、少女たちは呻いた。しかし、そこで変なことが起こった。まだ凍っていなかったはずの地面に氷の膜ができたのだ。オクサーナとイリーナの手から氷はできていた。
「な……にこれ」
「君たちはこんなに強い力を持ってしまったんだ。だから普通の人としては暮らせない。他の人をこの力で傷つけてしまうかもしれないから。これから君たちは基地で暮らすんだ」
「やだ、嫌だよ、お姉ちゃん、私、パパとママに会いたい! 二人はどこ?」
イリーナは泣き叫んだ。だが、オクサーナには何もできなかった。
「パパには会えるよ。面会日を設けているからね」
軍人は二人の手を引き、抱っこして車に乗せた。泣いたままの妹とともに、車はそのまま出発した。中にはもう一人の軍人もいた。
しばらく、車は正常に進んでいた。軍人が途中でお菓子を買ってくれたおかげか、イリーナは泣き止んだ。オクサーナはぼんやりと窓の景色を見ていた。
「もうすぐ着くからね」
軍人は言った。
しかし、その数分後奇妙なことが起こった。
さっきまで普通に運転していた軍人が、急に電源が切れたおもちゃのように意識を失ってしまった。
「おい、どうしたんだ!」
もう一人の軍人はハンドルを操作しようとしたが、間に合わず車は森の中に突っ込んで木に衝突しひっくりかえってしまった。
今度はイリーナが先に車から出てきた。
「お姉ちゃん!」
彼女は下半身が下敷きになった姉を助けようとした。しかし、そこでよくわからない人物が歩いてくる。彼の髪はオレンジっぽく、全身黒い服を着ていた。
その若い男はなにか二人に話しかけたが、何語なのかわからなかった。姉妹たちは逃げようとはしなかった。助けかと思ったのだ。
言葉が通じないことがわかると、男は肩をすくめ、おびえた表情をしていたイリーナの頭を掴んだ。そしてなにかを唱え始める。
「なに、何してるの? やめて! イリーナから手を離して!!!」
オクサーナはもがいたが車体の下ではなにもできず、男はイリーナに奇妙な呪文を言い続ける。イリーナが最初は抵抗をしていたのだがついに動くのをやめたとき、オクサーナは相手がなにかとんでもないことをしていることを完全に理解した。
彼女は爆発した。
男がもう一度イリーナの頭に手をのせたとき、オクサーナの力が覚醒した。「暴走」と言ったほうが近いかもしれない。
全ての水でできた物質が彼女に味方した。
「許さない!!!!!!!」
雪が巨大な腕となって、男を襲う。氷は大量の小さな矢となって突き刺してくる。若い彼は完全にびっくりしたのか、一度撤退を決めて姿を消した。
彼が逃れたのち、オクサーナはなんとか車体から出てイリーナの名を呼んだ。彼女は反応しなかった。
オクサーナは触ったり、ゆさぶったり、怒鳴ったりしたが、妹はなにもしない。瞬きさえしない。
「イリーナ、お願いだから動いてよぉ」
オクサーナはとうとう泣き出した。しかし、そこでイリーナが動き始めた。ただうろちょろするだけ。何の意味もない動作だ。一瞬治ったのかと思って、オクサーナは彼女に話しかけるが、イリーナは反応しない。「止まって」と言うまで永遠に動き回るつもりだった。
そこで13歳の少女は気が付いた。イリーナは命令を出されないと動けないことに。意思は完全に封じ込まれていて、何も言うこともない。
きっとあの男がなにかをしたんだ。そうオクサーナは悟る。
そこから数時間。何をすればいいかわからず、その場にとどまっていたオクサーナの耳はそこでもう一つの足音が聞こえた。警戒した幼い姉が振り向くと、長い黒髪と白銀色の瞳をした背の高い女が立っていた。マダーだった。
軍人たちを助けた(急に意識を失った男はその後無事回復した)あと、オクサーナたちはニューヨークへ連れていかれた。英語がまったくできなかった彼女は新しく出会った人たちに怖がっていた。しかし、その後、フェアリー団に配属されたとき、ボソボソと一人でロシア語を話しているところをある少女に聞かれる。
「え、あんた、ロシア語できるの?」
大きなアーモンド型の目をもった彼女はそう尋ねた。
「え、ええ、そうよ」
「そうなんだ! やったー!」
少女は喜んだ。
「私もロシア語話せるんだよ。ほら、お母さんが同じ国出身だからさ。でも弟たちはしゃべれないから、なかなか話す機会なかったんだ。なんかわかんないことあったらいつでも聞いてよ。私は篠崎真莉。よろしくね」
少女は手を差し伸べて、明るくにぃっと笑った。
「ありがとう。私はオクサーナ・ペトロブナ。こちらこそよろしくね」
篠崎真莉との友情はその後、黒人のアメリカ人少女、エレナ・フィリップスも加わって長く続くことになった。
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