第174話 敵対の意思

「楽園」での生活はそのまま過ぎていった。真莉はその間、なにもすることができなかった。

 霧月ブリュメールはやはり抵抗の意思があまりないようで、始終だらだらと過ごしていた。少女は彼にどこか失望感さえ覚えた。


 だが実際仕方がないことなのかもしれない。彼の三人の恩師が「神の僕」に反逆したことによって殺されてしまっている。その大きなトラウマを抱えたままでは、行動することもままならない。

 それに「神の僕」には普通の家族や子供たちがたくさんいた。彼らの生活や過去を知ったあとでは、ただの憎しみを維持するのは難しかった。


 もちろん真莉の復讐心が消えたわけじゃなかった。彼女が勝手になにかすることもできた。だが、少女は自分が動けば、霧月ブリュメール班も巻き込まれてしまうことをわかっていた。

 彼女にはそれができなかった。その班は、今や大切なものとなっていた。


(……せめて日向たちの無事を知りたいのだが)


 マダーに連絡することも考えたが、どこにいるかもわからず電話番号もわからないので結局二年間なにもできなかった。

 真莉はいつか熱月テルミドールから休暇をもらい、ニューヨークまで行くことを夢見ていた。一目だけでも、自分の弟たちや仲間の姿を見たかった。


「神の僕」はここ数年平和だった。2019年の韓国襲撃以来、特に人間界を傷つけることはしなかった。霧月ブリュメール熱月テルミドールが変わったのではないかとひそかに期待していた。


 だがとある出来事はそんな彼のささやかな希望を、めちゃくちゃに破壊してしまった。もはや立ち直れないくらいに。


 それは真莉が18歳になったときだった。霧月ブリュメール班はインドネシアの任務に送られ、ジャカルタで数日過ごしていた(結構大きい任務だったので、フリッツとアイリスは孤児院に一時的に預けた)。

 そのとき、ふと何気なくつけたテレビニュースの内容が、デルマーを激怒させた。それはなんだったか。


 イギリス襲撃である。


 何が起きたのかわかった瞬間、霧月ブリュメールはグラスを床に叩きつけた。


「ふざけるな!!!」


 その怒りはすさまじいもので、キーランでさえ震えあがったくらいだった。


「あの野郎、裏切りやがった!!」


「デルマー様! 落ち着いてください!」


 マルチナはほとんど泣きそうな声で叫んだ。霧月ブリュメールはイギリス生まれだから怒る理由は理解できたが、これほどまでの怒りは異常だった。


「デルマー、怒る気持ちはわかるけど_____」


 真莉は手で髪をくしゃくしゃにした霧月ブリュメールの背中に触れようとした。だが、彼は彼女の手を突っぱねる。


「これは全然違う事態なんだ、カメリア……! イギリスにはまだ俺の……家族が……」


 苦し紛れに絞り出された彼の言葉に部下たちは目を見開いた。霧月ブリュメールに家族が残っていたこと、それはまったくの新事実であった。


「俺にとっては唯一残されたものだった……いつか会おうと思っていた……でも全員……死んでしまったかもしれない……」


 デルマーは激しく落ち込み、ずっと座ったまま一日を過ごした。部下たちは心配しどうにかしようとしたが、どれも無駄だった。

 霧月ブリュメールがやっと動き出したのは、もう日がどっぷりつかったころだった。


「仕方があるまい」


 彼は突然言った。


「私は熱月テルミドールに以前、もう襲撃をやめたほうがいいのではないかと進言した。彼は馬鹿じゃない。結構納得したようだった。だからあの人は変わってくれたのではないかと思った。……期待した私が馬鹿だった」


 青年は立ち上がる。目には冷たい復讐の炎が宿っていた。


「『神の僕』はやはり徹底的に潰さなければならない!」


 彼は他の部下に無理についてこなくていいと言ったが、真莉、マルチナ、キーランはもちろん協力することを約束した。


 それに対し、デルマーは悲しそうな笑みで「ありがとう……」と返した。

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