第56話 全てを壊したその炎は

 ペストの大規模襲撃が一番最初に起こったのは2016年である。被害にあった地域はフランス、ベルギー、オランダ、ルクセンブルク、そしてドイツなどのヨーロッパ各国の首都だった。

 リーナはそのときにマダーに助けられたペストであり、ヴィルに続く古参メンバーとも言える。


 ヨーロッパが襲撃されてから、世界は2000年以降厳しくしていたペスト安全対策をより厳しくした。それは昔からペストに寛容な国であった日本も例外ではなかった。


 日本はペストを殺す法律は以前にはなかった。ただ彼らを生け捕りにし、特別な施設で閉じ込めておくのみで、死刑などの方法はとっていなかった。

 安全保障隊という組織もおらず、代わりに自衛隊がペストの対処をしていた。もちろんこれは長い間国民の反発を受けていたものであったが、政府がこれを変えることはしなかった。


 ちなみに、当時の内閣総理大臣は最後まで法律を変えることに反対した。ペスト共存時代を知っていた人だったからかもしれない。いずれにしろ、彼は選挙に敗れ座を失い、数か月後には銃撃で殺された。犯人は捕まえられたが、結局動機もよくわからないままうやむやにされた。


 新たな首相が選ばれたことで、対ペスト安全対策法はすぐに批准された。



 当時の日向はその一連の流れをぼんやりとテレビで見ていた。当時受験で忙しくよくわからなかったが、「まあ、安全になるならいいんじゃないかな」くらいにしか考えていなかった。


 襲撃が起こったのは受験が終わった2017年3月。まだ肌寒いときであった。日向が住んでいたのは東京の住宅街。父親はラーメン屋を経営していた。

 その日は休日で、日向はいつも通りソファの上でドラマを、アイスを食べながら見ていた。


「日向、食事前にアイスなんて食べて大丈夫なの?」


 日向の母親が料理を作りながら、娘に声をかけた。


「ええ、だってお腹空いたんだもん」


「全く少し待てばいいのに」


「我慢できなかったのー! ていうか手伝う? 大変でしょ?」


「いいの、私一人でできるわ」


「もー、無理しないでね?」


「してないわ」


 いたずらっぽく母親が笑ったその時、地面が激しく揺れた。


「うわっ!」


 棚から皿が落ち、床に落ちて割れた。


「ママ!」


「動かないで!」


 日向は母が心配でそばにかけよろうとするが、彼女は娘を止めた。揺れはしばらくしておさまった。母親はすぐに立ち上がり、ガスを止めた。


「地震……?」


「にしては強いわね。東日本大震災を思い出すわ」


「パパ、大丈夫かな……」


「連絡するわ」


 携帯を掴んでメールをする母。父親の返事はすぐに来た。


「よかった、大丈夫そうみたい」


 母の言葉に、日向は安心して微笑んだ。地震はびっくりしたがしばらくはなにもなかったので、日向もだんだん落ち着いてきた。そう、しばらくは。


 数分たったとき、二人は人々の逃げる足音が聞こえてきた。


「なんだろ」


 日向は扉を開けて、逃げていく民衆を見た。突然、よく知っている顔が見えたと思ったら、それは家の中に飛び込んできた。


「パパ?!」


 日向とその母親は彼にびっくりした。


「どうしたの?」


「早くしろ! 行くぞ!」


「なにが起きたの?!」


「火事だ! 火の竜巻だ!」


 父親はそれ以上言わず、妻と娘の手を引き家を出た。

 火の竜巻……?

 意味がよくわからなかったが、確かに煙のにおいがかすかにした。


 人々は走り続け、民衆の数はどんどん多くなっていく。彼らが目指すのは公園であった。


「見えてきた!」


 三人はすぐに木と小さな川に囲まれた場所に到着した。


「よかった、もう安心だ」


 人がたくさんいる中で、父親はぎゅっと自分の家族を抱きしめた。

 日向は大変なことになったと思った。大事な物は全部家に残したまま。このままで大丈夫なのだろうか。


 まあ、でも少なくとも命があるだけましか。

 そう思ったとき、日向は上空に黒い影を見た。人々も気づいて、顔を上にあげる。

 よく見ると、それは人間であった。羽の生えた人間。


「ペスト……?」


「お願い、なにもしないで……」


 ペストはしばらく飛び回っていたが、そこに15人くらいの安保隊の部隊が到着した。彼らは戦いを挑む。


「よし、いけ!」


 銃声が聞こえ、歓声があがった。だが、そのペストにとって安保隊なぞただの虫けら同然だったようだ。

 ペストはなにか炎を使った攻撃をし、15人はすぐに敗北して落下した。


「ああ、そんな……」


 日向はショックで口をおさえた。人の死を身近にみたのは、そのときが初めて出会った。今度は、ペストは狙いを民衆に定めた。


 炎が落ちてきた。


「まずい! 逃げるぞ!」


 父親は家族を率いて、川へ向かって走り始めた。だが、うまく進めない。民衆が多すぎた。パニック状態だ。

 炎はひっきりなしに落ちてくる。

 とうとう日向の近くにもそれが来た。それはただの火ではなかった。

 竜巻であった。火の竜巻だ。それは人々を巻き込んで進む。


「日向!」


 両親は娘を守るように囲んでしゃがんだ。

 ついに炎は小さな三人家族に触れた。


「熱い、熱いよおお!」


 日向は熱気、そして息をまともに吸えない状況にもだえ苦しんだ。


「日向、大丈夫だからね。パパとママが一緒にいるから」


 母親は死を覚悟し、彼女を安心させるためだけにそう言った。日向も現状を理解して頷き、ただ泣きながら両親を抱きしめた。


「陽子、日向、大好きだよ……」


 父親の最後の言葉が聞こえた。


 そこからはもう真っ暗になった。何も見えず、何も聞こえず、何も感じなかった。











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