第106話 決闘

 走ってきたトアンに向かって、風月ヴァントーズは手を前に出した。ビルの屋上にたまったわずかな土から、巨大な木の枝が生えてくる。

 トアンは器用にバク転をし、幹に飛び乗った。そのまま彼は上を駆け抜ける。風月ヴァントーズは、今度は大量の石を操作して投げた。

 青年はそれらを避けて、すぐにビルから飛び降りる。少しずつ回復していたミラが、小さく息を呑んだ。敵もそのまま彼を追う。空中で、二人は翼を開く。


「そのまま逃げるつもりか!」


 風月ヴァントーズは馬鹿にしたような笑みを浮かべるが、トアンはなにも言わずに地面すれすれのところで、上空に昇る。大量の石が襲ってきたが、なんとか炎ではじき返した。


(さて、どうするか)


 仰向けになって太陽を見ながら、ふとトアンは考える。決闘に誘ったのはいいものの、作戦は具体的に考えていなかった。生命力の異常に高い大地のペストを完全に殺すには、なにをすればいいのか。

 銃声が聞こえたので下を見ると、ライラが安保隊に襲われて闇を散らしながら逃げるのが見えた。トアンはそれを見て危機を覚えた。危ない。銃はペストの天敵だ。


(あ____)


 そこで青年はなにかを思いついた。覚悟をしたように唾を呑んだ彼は降下した。周りはライラの闇にまみれ、あまりよく見えない。


「いつまでそうするのだ。これでは決闘なんかではなく、ただの鬼ごっこではないか。それともあなたこそおびえているのではないのか?」


「なにっ……!」


 トアンは眉間にしわを寄せ、すぐに火を吹き出した。


「炎・風船葛Tam phỏng!」


 だが、空中での回転の仕方が悪かったのか、それはあらぬ方向へ飛んでいく。


「は、とうとう攻撃の仕方もわからなくなったのか。そもそもわたくしにたてつき、わたくしの女に手を出そうとすることが間違いだったのだ。」


 男は鼻で笑った。トアンは目の前の相手がやはり女性関係になると、周りが見えなくなることに気がついた。


「ここで終わらせようではないか」


 彼が腕から繰り出したのは植物。それらはトアンに巻き付く。しかし、そこで風月ヴァントーズは小さな違和感に気がついた。

 青年が笑っていたのだ。まるでリスクの高いギャンブルに挑戦するときのような、恐れと興奮が入り混じった顔だった。


 その瞬間、マシンガンの一斉連射の音が響いた。それは直に二人のほうへと集中する。


「撃てえッ!!!」


 さきほどのトアンの火の攻撃は、ライラに集中していた安保隊を無理やりこちらに向かせるためのものだったのだ。風月ヴァントーズは充満していた闇、そしてトアンに集中していたために、彼らに気がつかなかった。弾はどんどんと彼らの体に降ってくる。


 トアンは腕と足、肩、羽に数発くらい、飛べなくなって闇の靄を通って下に落ちた。

 それを見たライラは悲鳴を上げるが、ふたたび安保隊が彼女を襲おうとしたので少女は逃げることしかできなかった。


 トアンは地面の上で呻いた。全身が痛くて動けなかった。あちこちで骨が砕けているのがわかる。服は黒いのでよく見ないとわからないが、血で真っ赤に染まっていた。もうなにもできない。回復するのを待つしかない。

 敵がどうなったかはトアンにはわからなかった。さすがにあの銃弾の雨では生き残ることはできないだろう。むしろ自分が生きていることが奇跡だ、と青年は思った。


 ジャリッ……


 アスファルトを踏む音がした。トアンは首をなんとか動かして音のほうを見た。


 そこには風月ヴァントーズが立っていた。顔は血で真っ赤で、目が血走っている。普通の人なら悲鳴を上げて逃げて行ってしまうくらい、凄まじい形相だった。


「お前……罠に掛けたな……」


 男は鬼のような声で言った。


「決闘で他者の力を使うなど……許さんぞ」


「別に使ってはいない……お前が勝手に、やられただけだ」


 トアンの煽りに男は怒り、彼の首を手で絞めようとする。

 そこで青年はまた笑った。弱々しいが、驚きが混じったものだった。


「しかし、驚いたな。さすが大地能力者だ。脳に穴を開けられてもまだ生きていられるなんて」


 風月ヴァントーズの動きはそこで止まった。恐る恐る彼は自分の額に触れた。空洞が確かにあった。


 ゴフッ!


 男の口から突然血液が出たかと思うと、そのままトアンのうつぶせになるかのように倒れてしまった。


 男は死んだのであった。彼は結局「神の僕」の仲間入りをすることはできなかった。「楽園」とやらにも行くことができなかった。彼がイタリアで一度逃れた安保隊に、今回殺されるとは皮肉なことであった。


 トアンは男の死体を自分から離し、一息ついた。安保隊のモーターバイクの音がするが、闇が充満しているのでここまで簡単に降りてこないだろう。疲れ切ったトアンの耳に、今度は誰かの走る音が聞こえた。


「トアンッ……!」


 ミラが泣きながら飛び出してきた。彼女は横たわっていた青年に駆け寄り、彼の手を握りながら泣き出してしまった。


「もう、泣くなよ」


 トアンは弱々しく、だけど優しくミラベッラに笑いかけた。


「ごめん……! ごめん……!」


 19歳の少女はただただ謝った。涙はトアンの服を濡らした。


「大丈夫さ、ミラ。君はもう自由だ。怖がることなんてない」


 トアンがそっと彼女の頬に触れると、ミラベッラは泣きながらも笑みを浮かべた。


「ありがとう、トアン。本当にありがとう……」


 彼女は震える声で言った。


 二人はしばし見つめあった。

 ふと何かが繋がった気がして、二人の唇が近づき触れた。








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