第44話 気づき

 訓練兵たちは自分たちの実家へ帰ることが求められ、家族がいない人や家が遠すぎる人たちはホテルで泊まることを勧められた。ドロテオとメイソンは自分の家へ帰り、紫涵ズーハンはホテルで適当に買ってきたフレークを夕食にして、あとはただベッドの上でぼんやりと過ごした。


「シャリー……大丈夫かな……」


 ぽろっと口から出る言葉は親友の心配のみ。もやもやとした不安がずっと体を渦巻いているような気分だ。


 もし最悪な事態になったら一体どうすればいいのか。


 少女はふと考えた。もしシャリーが本当にペストになってしまっていて、今ちょうど殺されるのをただ待っていたら? ゾッとするが、やはりそういうことは考えておかなければならない。

 ペストは全員が全員、悪い人じゃない。そう教えてくれたのはケイだ。自分が欲しかった言葉を投げかけてくれた彼が、人間を殺すなどそんなのありえない。なによりもあの大きな瞳には優しさがあふれていたのだ。だったら、シャリーもペストになったからって殺すべきじゃない。シャリーはシャリーなのだ。

 紫涵ズーハンは目を閉じた。眠りに落ちる前に、古い記憶を思い出す。




「やーい、チンク、チンク!」

「チンチョンチャン!」


 安保隊に来た初日、数人の男の子たちが紫涵ズーハンを見、馬鹿にしたように叫んだ。アジア人を差別するときの言葉だ。


「……」


 紫涵ズーハンはアメリカでこれが起こることはすでに予想していたので、ただ無表情で彼らを無視した。

 彼らは知らないだけだ。バカなんだ。だから反応する必要はない。

 そう自分に言い聞かせるも、やっぱり心の底で嫌な気持ちがぽこぽこと湧き出てくる。でもトラブルは起こしたくないので、少女は最後まで我慢するつもりだった。

 しかし、そこで別の短い金色の髪をした女の子が突然やってきて、騒いでいた男子を蹴りでふっとばした。紫涵ズーハンは突然起こったことにびっくりして、現れた彼女を口をぽかんと開けたまま見つめた。


「まったく、嫌な連中だわね。こんな人たちが安保隊なんて信じられないわ」


 金髪の彼女はそう言い、ふんと鼻を鳴らした。そして、紫涵ズーハンに手を差し出し、自己紹介をした。


「ってわけで、私の名前はシャーロット。シャーロット・メアリー・ルイス。シャリーでもいいわ。あなたは?」


 紫涵ズーハンは手を握り返して言った。


朱紫涵スー・ズーハンです。中国からやってきました。ズーって呼んでください。よろしくお願いします」


「よろしくね、ズー!」


 そこで初めて二人は知り合い、友達となったのだ。それから数日後、シャーロットは紫涵ズーハンにこんな質問をした。


「そういえば、ズーはなんで安保隊に入ったの?」


「そうだね……」


 紫涵ズーハンは彼女に自分の両親が炎のペストによって殺されたことを話した。


「中国は今でもペストを軍事に使っているんだけど、私はそれは間違っていると思う。ペストは危険なんだよ。いつ反乱やテロを起こすかはわからないし、軍にペストを使っているから中国の人たちは外国へ行くことも難しい。制裁があるからね。私は特別な許可をもらってここに来たの。私は将来、中国を変えたい。もっと安全な国にしたいんだ。……だからここにいる」


「なるほどね。……私も実は家族が原因でここにいるの」


 そっと、シャーロットは話し始めた。


「私がまだ10歳くらいのとき、妹がさらわれたの。窓からいきなりペストが入ってきて、彼女をさらっていった。飛ぶ後姿を見たわ。そのとき私は彼女とけんかしちゃってそばにいてあげなかった。ずっと……後悔している」


「そんな……シャリーのせいじゃないよ」


 紫涵ズーハンはつぶやくが、そんな言葉が無駄なことは彼女自身にもわかっていた。


「いいえ、私のせいよ……。あいつらに絶対復讐してやる。それに、……もしかしたらあの子は生きているかもしれない。必ず見つけるの。そのときはもう二度と目を離さない……」


 少女は小さな声で言った。



 次の日には、訓練兵たちはいつも通りの場所に戻り、紫涵ズーハンはメイソンやドロテオと再会した。話題に上がるのはやはりシャリーのことについてで、紫涵ズーハンだけじゃなくやはり二人も心配している様子だった。


紫涵ズーハンたちの班、ちょっと来てくれ」


 そこで教官に呼ばれ、三人はびくびくしながら従った。教官は疲れていて、10年老けているように見えた。


「俺もこんなことを伝えたくなかったが……シャーロットが亡くなった」


 メイソンとドロテオは息を飲んだ。紫涵ズーハンもショックを受けたが、同時に違和感を感じた。あのとき、はかった脈は正常だった。あれで死ぬなんてありえない。


「訓練兵が安保隊になる前に死ぬのは……あまりない……。彼女なら立派な安保隊員になっただろうに……」


 だけど。紫涵ズーハンは教官のことを、心の中で否定した。脈は正常、目立った外傷もない。いや……傷がないのもそれはそれでおかしい。

 じゃあ再生したとしたら?

 紫涵ズーハンはハッとした。

 やはりシャーロットはペストに?

 それなら納得する。安保隊側はシャリーがペストになったことを私たちに隠そうとするはずだ。自分たちの仲間が敵になるなんて、普通の訓練兵にとってはとてつもなく大きなショックだろうから。

 昔の紫涵ズーハンならそれに納得したかもしれない。友達が「殺処分」されることを受け入れたかもしれない。だが今では、紫涵ズーハンは裏の世界を知りすぎていた。


(シャリーが殺されなきゃいけないなんておかしい)


 紫涵ズーハンは唾を飲んだ。


(私の知識が間違っていなければ、捕まえられたペストが殺処分されるまでには少し日数が必要だったはずだ。シャリーは暴れないはずだから、きっと殺される順番は最後のはずだ。その間に助ければ……)


 自分一人では彼女を助けることはできない。でも仲間がいれば。


(メイソンとドロテオを巻き込むわけにはいかない。それにペストにいい人もいるとは信じてくれないだろう。やっぱり頼るべきは)


 ケイ。


(はやく見つけて全部教えなければ……!)


 少女は反逆者となった。


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