第89話 紅茶がない!

 会議の後、夕食が出た。それはトアンが奮発して作った、ベトナムのフォーだった。皆は美味しそうに食べていたが、キャサリンはそれを気に入ったとは言えなかった。パクチーがきつすぎると感じたのだ。


「翔もこれ好きなの……?」


 平気な顔をして麺をすする翔に、キャサリンは小さな声で尋ねた。


「小さい頃よく食べさせてもらっていたからな。パクチーには最初慣れないかもしれないが、だんだん食べていくうちに美味しく感じてくる」


 彼は淡々と言った。食べるスピードは相変わらず遅かったが。


 ミラベッラは食事中、別の部屋で食べていた。やっぱり顔を見せることに、抵抗を感じているようだった。


 食事後、キャサリンはローザとガブリエラに連れられて女子部屋に行った。


「今日はここで寝てくださいね」


 ローザは部屋にあった二段ベッドのうち、ひとつを指さした。部屋自体はあまりニューヨークのと変わらない。細々と置いてあるものが、住んでいる人が違うことを示すのみだ。


「ありがとう」


 キャサリンはお礼を言い、そのベッドに自分の持ってきた鞄を置いた。パジャマをひとつ、そこから出す。


「ねえ、クッキー持ってきたよ!」


 部屋の扉がガチャリと開き、ヒジャブを被った少女がクッキーを置いた皿を持ってきた。チョコチップクッキーだ。

 少女たちはお礼を言いながら、一枚ずつ取った。キャサリンは甘いデザートを頬張った。


「美味しい! ちなみに紅茶はある? 甘いものには絶対に紅茶がないとね」


「紅茶……? あるかな」


 ローザは顎に手を当てて、考え込んだ。


「え……なに? 皆紅茶飲まないの?」


「私はコーヒーを飲むわ」


 ローザに賛同するという意味のジェスチャーを、ガブリエラはした。


「私もコーヒー!」


 ライラも頷いて言う。

 キャサリンは卒倒しそうになった。紅茶を飲まないなんて……! そんなことあっていいのか?! しかし、彼女は忘れていた。今彼女はアメリカにいるのだ。ほとんどの人は紅茶よりコーヒーを飲むだろう。


「ニューヨークでは毎日飲めていたのに!!!」


「そりゃあ三班はチャイを日常的に飲むインド出身のクリシュナくんがいるし、翔くんと怜くんは小さいころから紅茶飲んでたし、日向さんもお茶大国日本出身だし……」


 ローザはつらつらと三班のメンバーの名をあげて見せた。だが、キャサリンは「そんなの知らないし……」と呻いただけだ。


「まあ多分棚にあるかもしれないから、おいでよ」


 ライラはキャサリンとともに下の台所に降りて、棚を開けた。ようやく紅茶を見つけたが、二つのティーパックが箱の中で転がっているだけだった。その事実に、キャサリンは悶絶した。

 今日と明日は飲めても、明日は飲めないかもしれない。そんな不安が彼女を襲ったためか、その日キャサリンはなかなか寝付けられなかった。

 ただ毛布にくるまって、いろいろ考え事をしていた。ミラベッラを除く他のメンバーは眠っていた。


 風の能力を獲得して以来、耳が良くなっていたキャサリンは、下の階で誰かが歩いている音を聞いた。それから話し声だ。

 キャサリンは気になって、そっとベッドから出た。できるだけ床を軋ませないようにしながら、廊下を歩いた。

 階段から何が起きているのか見ようとしたが、声の主は見えなかった。

 だが、見つけたものはあった。肩まで届く金髪頭の少年、翔だ。なぜか仕事着を着ていて、キャサリンと同じく誰が話しているのか調査しているようだ。


 キャサリンは慌てて部屋に戻り、同じく仕事着に着替え、階段を静かに降りて、後ろを向いていた翔に飛びついた。翔はびっくりして、思わず氷を拳にまとわせた。


「キャサリン! 心臓が止まるところだったぞ!」


「う、ごめん……」


 キャサリンは小さく謝る。


「……なにしてるの?」


「ちょっと眠れなかったから、誰かさんたちが夜のお散歩をしようとしているところに突っ込もうと思っていたところ」


眠れない。その発言を聞いて、キャサリンは初めて翔の目の下に隈があることに気がつく。


「ねえ……大丈夫なの?」


「ん? もちろん。来てよ」


 歩き出した彼に、慌ててキャサリンはついていった。そのまま二人はガレージのような場所へ着く。

 そこでは仕事姿のトアンとミラベッラが立っていた。扉を開けて入ってきた翔とキャサリンをびっくりして見つめた。


「あんたたちなにしてんの、ここで」


「あんたたちこそなにしてるの?」


 ミラベッラは憤慨したが、翔はしゃあしゃあと返した。トアンはゲラゲラと笑っていた。


「はっはっは、夜行性なのは真莉と似ているなぁ。なんだ、俺たちの夜のお散歩に参加したいのかい?」


「まあ、そうだな。俺たちは学校へ行かなくていいから、朝早く起きる必要はないし」


「何しに行くのかわかってんの?」


 ミラベッラは腕を組んで、二人を見つめた。


「犯人を捜しに行くんだろ。ペストは基本夜行性だし、放火する直前に内部を見回って、どう火をつけるか考えなければならないだろうし」


「……まあ、そうだけど、その子は大丈夫なの? まだ新人でしょ?」


 ミラベッラはキャサリンのほうを顎で示した。翔の後ろに立っていたキャサリンは、体を縮こませた。


「キャサリンは強い。能力はライアンと一緒の水と風があるし、最近オクサーナに訓練してもらった。それに俺がペスト売買から生き残ることができたのは、キャサリンのおかげだ」


 翔がふわりと笑ってそう言ったので、キャサリンは少し赤くなった。


「ふん、覚悟があるなら来ていいぞ。バイクに乗って移動するから、ライアンのを借りて」


「どうも」


 翔はライアンのだろうと思われる青色のバイクに触れた。


「キャサリンは後ろに乗れ。ほい、ヘルメット」


「あ、ありがとう……」


 キャサリンがバイクの後ろに乗って、翔の背中に手をまわしたとき、彼女は気が付いてしまった。


(ん……? これって結構恥ずかしいのでは?!)


「行くぞ!」


 トアンのバイクの後ろに、ミラベッラが乗ったあと、班長はガレージのドアをリモコンで開け、四人は出発した。

 華やかなる夜のロサンゼルスに向かって。




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