第59話 消えた炎を思う

 日向が次に目覚めたとき、最初に目にしたのは家の天井だった。

 思考停止していた彼女は、数秒して飛び起きた。自分はベッドの上にいて、服も新しくなっていた。窓を見たが、全く知らない場所だった。

 一緒に寝ていた彼はどうなったのかとハッとして、彼の名前を叫ぼうとした。


「あきっ…」


 だが途中で彼の姿を見つけた。明は隣のベッドで寝ていた。日向は安心したが、ここが本当に安全な場所かどうかはわからなかった。

 日向は明の頬をつんつんとつっついた。


「ん……」


 彼は薄目を開けた。


「おはよう」


 日向が微笑んで言うと、彼は上半身を起こした。


「なん……だ、ここ」


「わからない」


 彼女は不安をにじませた声で返事をした。閉まっている扉があったので、開けようとしたそのとき、それは外側から開けられた。

 入ってきたのは長身の女。長い黒い髪をしていたが、目はそれと対照的に白い。


Good morningおはよう


 彼女は流暢な英語で話し始めた。


「Did you have nice dreams? I think you had a hard time yesterday, but don't worry. You are safe now. As long as you are here.

(いい夢は見れたかしら? 昨日はきっと大変な思いをしてきたでしょうね。でももう心配しなくていいわ。もう安全よ。ここにいる限りね)」


「……なんて言ったんだ?」


 明は首を傾げた。彼の一番の苦手教科は英語だった。一方、英語ができる日向は問い返した。



Who are you?あなたは一体誰なの?


「私に名前なんてないわ」


 女は返事をした。


「でも皆は私のことをマダーって呼ぶわ。私は妖精たち……つまりペストを助ける人。今からあなたたちに選択をしてもらいたいの」


 そして、彼女は日向と明に、南米に行くか、ここで働くかどっちかを選ぶように言った。


 二人は悩んだが、結局後者を選んだ。理由は単純。金が稼げるからである。南米でひとりで生きていくにはきつすぎると彼らは感じたのだ。自分たちはまだ18歳。未熟だ。向こうでどんな環境が待っているかは知らない。言葉もわからない。


「ここで働いてくれるなんて嬉しいわ。申し訳ないのだけれど、もう一つ頼みがあるの」


 マダーはそう語りながらリビングへ案内した。真ん中にソファがひとつあり、そこに三人の子供が座っていた。

 より詳しく言うと、子供のうち二人は眠っていた。一人は輝くような金髪をしていて、もう一人の一番幼い子は炭のように黒い髪をもっていた。


 起きていた女の子は一番年上で、茶色の髪の毛をふたつのおさげにしていた。少女は三人が歩いてきたほうを見た。

 彼女は驚くほど無表情だったが、日向が注目したのは彼女の目だった。


 形はつれているアーモンド形で大きく、色は世界中の全ての緑を集めたようだった。それは、光にあたったりあたらなかったりで色彩が変わった。

 いずれにしろ、とても美しかったのである。


「この子たちはあなたたちと同じ日に助けたの。日本人の三人姉弟よ。親は目の前で殺されてしまったみたいで……。この子たちは英語が話せないし、とても心細いと思うからあなたたちが向き合ってほしいの」


 親が目の前で……。なんてひどい……。日向は彼らを憐れんだ。

 日向がマダーの言ったことを通訳し、明に伝えた。彼はすぐに長女のほうへ行き、しゃがんで目線を合わせる。


「やあ」


 少女は明の挨拶になにも答えない。ただ虚ろな表情をするのみだ。


「俺の名前は明。お嬢さんはなんていうんだい?」


「……真莉まり


 彼女は小さな声で、やっと返事をした。


「そうか、真莉ちゃんって言うんだね。その子たちは弟?」


「……うん」


「なんていう名前?」


「その子がしょうで、この子はれい


「なるほど、かわいいな」


 明の笑顔に、真莉は少しだけ自慢げな表情をした。ついで日向も自己紹介をした。


「鉄砲を持った人、もう来ない?」


 真莉は心配そうに、二人に尋ねた。


「大丈夫、ここは安全なところだからね、真莉ちゃん。何かあっても私たちが守るから」


「本当?」


「そうだよ、俺が君たちのお父さんさ。そして日向がお母さんだ!」


 真莉は日向のほうも見た。日向は笑い返した。


「これからは『父さん』でも『パパ』でも『明兄ちゃん』でもなんでも呼んでいいぞ!」


「……うん!」


 これが篠崎姉弟と日向、明の出会いであった。





 そのあと、長い間、平和な暮らしは続いた。三人の子供たちは成長した。明の髪の毛は長くなり、同じく炎の力が第一能力であった怜を弟子とし、いろんなことを教えた。


 明はどこまでも優しい人間であった。篠崎姉弟にとっては本当に父のようであり兄でもあった。


 そして、日向と明は一緒に過ごしていくうちに、お互いに惹かれていった。二十歳を越えたとき、アメリカのラーメンの不味さに閉口した二人はラーメン屋までも作った。


 将来の約束をしたのは、冬のある日の、食材を買ったあとの帰り道だった。冷たい手を握りあって、二人は笑った。婚約はしたが、二人は結婚はもう少しあとに考えていた。まだペストの子供たちを世話しなければいけないと感じていたのだ。


 悲劇が起きたのはそこから数か月後だった。当時班長だった明は、働く機会が多かった。その日、日向は家で家事をやっていた。日が沈むころになって、突然怜から電話が来た。


「日向姉ちゃん……明が……明が……!!」


 日向は大変なことが起きたということをすぐに察し、現場に飛んでいった。


 大丈夫、きっと治る。怪我しただけよ!


 彼女はそう自分に言い聞かせた。だが、現実は非常だった。


 アーベルが明の亡骸を運ぶのが見えた。近くで怜とともに別の任務をやっていたので、すぐに立ち寄ることができたのだろう。だが、彼を救うには時間が足りなかった。そばでは怜が真っ青な顔をしながら、一歩後ろを歩いていた。


「そ、そんな…………嘘よ……嘘よ!!」


 日向は膝から崩れ落ちた。アーベルはぼそぼそとつぶやいた。


「ペスト同士が戦っていたところを止めようとしていたみたいだ。……そこに安保隊が入った」


 見ると確かに明の頭に銃でできた傷があった。銃弾の雨から明の体を救ったので、アーベルの体は血だらけになっていた。


 明の死に顔はとても穏やかだった。


 彼の死はフェアリー団に暗い影を落とした。

 真莉はそれ以来グレてしまったのか、同じ班のペストの女の子二人を連れて、よく夜中に街を徘徊するようになった。


 その翌年には彼女も行方不明となった。



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