第69話 はさみうち

 犯人は黒いトレンチコートを着ていて、凍った道路へ逃げる。


「オクサーナさん! さっき、私のおばあちゃんが!」


「知ってるよ! 大切な人の『幻』でしょ?! それがあいつの能力! お母さんの生きている姿見せてきたのよ! ひどくない?! 私はとうの昔に彼女の死を受け入れたのに! またむしかえそうとして!!」


 オクサーナは強い口調で言うと、ロシア語で、ここには書けないくらい汚い言葉で彼を罵った。


「あの人、イリーナに呪いをかけた人ですか?」


 走りながらなんとかキャサリンは尋ねる。


「違うわ! もっと年取ってるはずだもの。あの人は若すぎる」


 ホテルを抜け出した彼はまともな歩道もない道路を走る。さすがペストで体力はかなりある。


「待ちなさい!」


 オクサーナは一度止まり、道路に手を付け叫んだ。


「水・凍結заморо́зь!」


 氷におおわれてつるつるになった道路で、男はすぐに転んだ。そのすきを逃さず、オクサーナは彼の襟をグイッとつかんで引き寄せた。


「説明して。あんたは一体何者で、なぜ逃げたのかを」


 男はさもめんどくさそうにため息をついた。キャサリンはヴィリアミを思い出した。


「客室に勝手に入ってきたら誰だって逃げるだろうよ。どうせお前らも『神の僕』だろう? 俺に死ぬ気はないぞ」


「神の僕……? どういうこと?」


「あ、違うのか?」


 そのとき、前から数人ぶんの足音が聞こえた。全身黒い服、黒いマントをつけた者たちだ。顔にはペストマスクをつけている。「神の僕」の人たちに間違いない。

 霧月ブリュメールの言葉がキャサリンの脳裏にかすった。


「次に合うときは立場が一緒になるかどうかはわからないからな。それと他のモワには十分に気をつけるように」


 別の12神官か? キャサリンは警戒して、そばにいたイリーナの手を引いて数歩後ろに下がった。


 真ん中にいた男がマスクをつけたまま語りかけた。


「どうも、私たちは『神の僕』、12神官のひとり、葡萄月ヴァンデミエールさまによって送られてきた者たちです。そちらの男にちょっと用がありまして、大人しくこちらに渡してくれませんでしょうか?」


「……一体なんの用なの?」


 オクサーナは震えた声できき返す。怒りを抑えているようだった。


「神の命令の詳細は、『神を信じること』のできないペストに言うことはできません。ただ引き渡してくださればいいのです。渡すつもりがないのなら……」


 男は仮面の下で目を細める。


「『神の罰』がくだります」


 オクサーナは少し考えた。自分ならこの男たちを相手にすることができるだろうが、後ろの自分の妹と弟子が心配だった。


「あなたを殺すつもりなの、あいつら」


 誰にも聞き取れないくらい小さな声で、オクサーナは話しかける。


「ああ、そうだ」


 男は淡々と答えた。理由は気になるが、それはあとだ。


「なるほど、じゃあ取引よ。あんたは私が守る。そのかわり妹を治してもらう」


「はー、りょーかい」


「キャサリン、逃げて!」


 オクサーナは叫ぶと、手をパンッという音をたてて合わせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る