第136話 暴走

「君の母親が亡くなったときのことを、昨日のように覚えている」


 男の言うことを、キャサリンは黙って聞いた。


「生き残ったのは君だけだったはずだ。事件の後、私はアメリカに移動し、何も聞いていなかったが、まさかこんなところで会うとは……。なぜペストなんかに……?」


「私にもその原因がわかればいいんですけどね」


 少女は皮肉ったが、男は特に気にせず続けた。


「私はペストを殺すのが生業の安全保障隊だが、エリザベスの残した子を死なせることはさすがにできない。キャサリン、私と一緒に来なさい。安全は保障する」


 キャサリンは少しの間黙り込んだ。


「……他の人たちは?」


「キャサリン、あれはただのペストだろう。君は彼らに監禁されていたんだろう? 今がチャンスだ。人間に戻ろう」


 男は手を伸ばしたが、キャサリンはそれを取らなかった。彼女の中でふつふつと怒りが湧きあがってきた。


「……なにがただのペストだ」


 彼女の周りに風が発生し、髪がなびいた。


「どいつもこいつも自分勝手な主張ばっかりして! なんで私の家族をいつも狙うのよ!! 私をほっといてよ!!!」


 自分の家族はいつもキャサリンが叫んだ瞬間、黒い一筋の線が彼女の体からまっすぐ空に向かって放たれた。線は墨汁を垂らしたときのように、ニューヨークの空を一気に覆う。それと同時に、激しい猛吹雪が発生した。

 母の最期の言葉、思い出すことも難しい兄と父の温もり、イギリス襲撃に巻き込まれた祖母、日向の穏やかな死に顔。なぜ、自分の家族をいつも誰かが傷つけてくるのか。わからない。もうやめてほしい。

 

 入り混じった怒りと悲しみ。それが暴走したのだ。





「この人たちはただのペストじゃない! 私を助けてくれたいい人たちなの! だから殺さないで!!」


「はあ?」


 ジャックは首を傾げた。


「あなたは私よりも状況を把握している正式隊員……ならば、目の前の人物がテロリストなのか違うのかわかるはずだよね? それに人間とペストの垣根は案外低い。ペストになってしまう安全保障隊員もいるくらい。差は全然ないのよ! お願いだから、この人たちを離して! 人類に悪いことは何もしてないの! その逆よ!」


 だが、ジャックは悪役のような笑い声を立てただけだった。


「馬鹿だな。ペストがどうであろうとも、ペストになった時点でもう終わりなんだよ。なぜならこの国が___いや、この世界がそう決めているからだ。常識は変えられない。この愚かなる群衆が何かに気がつかないかぎり、現状を変えることは不可能だ。だが、群衆は皆、政府の支配下にいる。愚かだからね。メディアで嘘を塗り固めれば、もうそれは現実となる」


 彼はふたたび銃を構えた。


「だから、君がなにを主張しようとも無駄だ。僕は今の常識に便乗しようと思うよ。そっちのほうが生きやすいからね」


 武器の引き金を引きかけられ、怜が殺すことも覚悟で炎の攻撃をしかけようとしたとき、突然空が真っ暗になったかと思うと、猛吹雪が四人を襲った。


「うわっ!」


 あまりの風の激しさに、安保隊の二人はまっすぐ立てなくなり、その場にうずくまった。


「わあっ!」


 吹き飛ばされそうになった紫涵ズーハンを怜が捕まえ、まだジャックが体勢を整えないうちに、なんとかその場を逃れた。


「なんなんだ……これ!」


 光であたりを照らしながらなんとか言った怜に、翔は心配そうに空の闇が来るほうを見て答える。


「たぶんキャサリンだ。やっぱり能力をコントロールできていないんだ……」


 アーベルとハヨン、空を飛んでいたリーナも、この突然のことに戸惑った。ヴィルとアリシアはやっとのことで、飛ばされかけたメイソンとドロテオを捕まえる。クリシュナは闇を消そうとしたが、キャサリンの体から出る闇の勢いが激しすぎて追いつけないでいた。

 翔はキャサリンのところまで行こうとするが、風が強すぎていけない。


「クソッ、どうすればいいんだ!」


 この混乱の中、怜、翔、紫涵ズーハンの目の前で、何かが現れた。黒髪に、白い目、高い身長をしたその女は。


「マダー!!」


「社長から連絡をもらったわ。ずっと激戦地域にいたから気づけなかった。ごめんなさい。早く移動しましょう。翔、怜、私の手を取って」


 それから彼女は目を訓練兵に向ける。


「あなたも来なさい。私たちに協力したって知られたらどういう懲罰をされるかわからないわ」


 紫涵ズーハンは一瞬迷ったが、置いていった仲間たちのことを考えた。


「ごめんなさい。でも、私が行ってしまえば、仲間だけが罰を受けることになる。もともとは私が起こした自分勝手な行動……。責任を取るために、ここに残ります」


「とても忠実ね……素晴らしいわ」


 マダーは言うと、すぐに翔と怜とともに別のところに瞬間移動をした。そして、すぐに戻ってきて、ヴィルとアリシア、リーナ、クリシュナ、アーベルとハヨンを送る。


 最後に彼女はキャサリンのところへ来た。マダーはまず植物の能力を使って、少女の周りを囲んだ。


「キャサリン」


 彼女はそれからキャサリンの肩を掴み、そっと言った。


「落ち着いて、大丈夫よ。もうみんな移動した。もう危険はないわ」


 そこで焦点の合ってなかったキャサリンの目が治り、少しだけぼんやりとしていたかと思うと、次の瞬間には気を失ってしまった。マダーは彼女を抱きかかえると、すぐにその場から消えた。

 雪まみれになったヘンリーは、キャサリンが逃げたのをみると舌打ちをした。ニューヨークは氷漬けとなり、紫涵ズーハンたちは安保隊に拘束された。

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